Cufflinks

第一話・焔 第五章・1


 帰宅した春樹は、いの一番に高岡のジャケットをクローゼットにしまった。一番隅の、奥まったところにかける。
 クリーニング店の不織布がかかった成人男性の服は、春樹のクローゼットで見事なまでに浮いていた。ジャケットのカバーをめくり、袖口に触れる。軽い風合いの生地は、服の主が夜の世界で生きる男だと思わせない。

 夜の街を高岡と歩く。ラフなスーツに風を受け、風に乗ってオー何とかが香る。
 春樹はめいっぱいのお洒落をしていた。壬に選んでもらった洋服に、壬がつけてくれたカフスボタンが合っている。
 いつもより歩くペースが遅い高岡と、ふたりだけで歩く。
 歩行者用の信号が赤になる。こちらを見る高岡の瞳は怖いだろうか。それとも……。

 気がついたらジャケットの袖にキスしそうになっていた。不織布が破れそうな勢いでカバーをかけなおし、大きな音をたててクローゼットを閉める。
(何を考えていた。今、何を想像した)
 新田を初めて見た日、寝る前に同じようなことを夢想した。春樹も新田も男だけれど、同じ学校に通う生徒同士以上の関係になれないだろうかと考えた。新田と並んで歩けますようにと願いながら眠った。
 上級生に一瞬にして心を奪われた日と同じ想像を、高岡にすり替えてするなんて。
 くずおれそうになった。新田と歩く姿を思い描いたのが恋の始まりなら、今のは何だ。
「き────」
 狂犬という言葉が出てこない。狂犬のせいだと言えば楽になれるのに、声帯が思いどおりに動かない。
 リビングに駆け込んだ。ソファに置いてあった携帯電話を開いて『T』に発信する。
 こんなときに限って四回目のコールでつながった。
「どうした仔犬ちゃん。しっかり食べたか」

 『アルバイトが終わったら、一日だけ空けてくれ。俺のために』

 こちらから電話したのに、ジャケットのジャの字も言えなかった。
 不審に思ったのか、電話の向こうが静かになった。喧騒のないところに移動したらしい。
「何かあったのか。学校からの手紙は見たか」
 声が出ない。新田といるときに高岡のことを考え、高岡と話しているときに新田を想う。
 自らの矛盾に負け、言ってはならない言葉をせきとめられなかった。

「心が……破れる……!」

 雑音が完全に消えた。規則的な靴音もとまる。煙草を吸うときの、かすかに紙が燃える音もしない。
 恐ろしい焦燥感に襲われ、春樹はソファとローテーブルの間にへたり込んでしまった。
「時間は気にするな。ゆっくりでいいから話してみろ。まず手紙は読んだのか」
 かぶりを振る。電話だから伝わるはずもない。あまりに滑稽で、乾いた笑いが漏れそうになった。
「聞こえているなら答えろ。叱らないと約束する」
「約束……」
「信じないだろうが、俺は手紙を見ていない。心が破れるとはどういうことだ。何があったのか話せ」
 混乱の原因は出会いがふたつあったことにある。でも話せない。話せば終わる。
 知ってしまった恋が終わる。


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