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第一話・焔 第五章・1
夜の九時近くに入ったファミリーレストランは混んでいた。春樹と同じ和定食が新田の前に置かれる。
食べ始めて間もなく、新田の視線がテーブルの端でとまった。高岡が持ってきた封筒を見て眉をひそめる。
「……どうやって届いたんだろう。その手紙」
言葉の意味がわからず、春樹は箸を口に当てたまま新田を見た。
「どうやってって、どういうこと?」
「いや、宛名がないから。切手も貼ってないし」
箸を落としそうになった。父の家に学校からの書類が送られることはない。横領が発覚するまでは父の秘書が学校に直接受け取りに行っていたのだ。秘書が行かなくなってからは稲見の仕事になっていた。
今までにも父への手紙が春樹に届けられることはあった。血縁に関心がない春樹は、宛名のない封筒を見ても何も思わなかった。
自分のなかで流れる血に心底ぞっとする。
衣食住は足りていて、家事は遺影の母に代わって家政婦がしてくれる。有名校に入れとも言われないためプレッシャーを感じることもなかった。
親がいなくても適度に豊かな生活を受け入れていた。ほかの子とは違うけれど、ことさらに異質なのだとは思わなかった。
『きみのそういうところが怖い』
いつか稲見が言っていた。そうだあれは──塔崎の愛人になるよう、社の会議室で言われた帰りだった。
楽しいことだけを見るようにして、嫌なこと、悲しいことは、やがて去っていく雷雲として扱っていた。開封ずみの封筒に怒りを覚えたこともなかった。
父を探らない息子だから捨てられたのだろうか。
実の親に興味を示せば、すがっていれば、血を分けた息子に売春させようとする社に抵抗してくれただろうか。
「春樹、顔が真っ青だぞ」
貧しくても正しく生きれば塔崎には出会わなかっただろう。高岡のことも知らずにすんだ。
壊れたカフスボタンを返す返さないで悩む存在にはならなかった。
「食べたくないなら無理するな」
先に箸を置いた新田が身を乗り出してきた。春樹はぎこちない笑顔を返し、味噌汁に口をつける。
嘔吐感は消えていたため、胃の痛みを我慢すれば食べられそうだ。
「お腹減ってるから食べるよ。ここ初めて入ったけど、おいしいね。修一も食べて」
新田が静かに座りなおす。時おり心配そうな視線をそそがせてしまうのが申し訳ない。春樹は封筒を見てから新田を見て、微笑んでみせた。
「父、教育に細かい人で。郵送物は秘書か社員さんに取りにいってもらうんだ。学校の様子を知るために」
向かい合う人の箸がとまる前に、ごまかすことに慣れた言葉が先回りする。
「社員さんたちも迷惑だよね。父は自分で動かないから」
「……変なこと言って困らせたな」
利発な目に影が差す。おどければ負担が増えると思い、不自然にならないように食べ進めた。
「そんなことない。それより手紙見るの楽しみ。アルバイト初めてで緊張するけど」
ふたりとも食べ終え、つぎ足された水を飲んだ新田が低い声で言った。
「アルバイトが終わったら、一日だけ空けてくれ。俺のために」
「え……」
コップを持つ新田の指先は白くないものの、手の甲にくっきりした筋が浮く。
「それだけ、直接言いたくて来た。出よう。送ってく」
新田がレシートを持ってレジに向かう。前を見る目が少し怖い。
春樹は宛名のない封筒を握りしめ、新田の顔色をうかがうように席を立った。
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