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第一話・焔 第四章・4
二日後の昼休み、春樹は第二食堂にいた。森本と三人で食べないかと瀬田に誘われたためだ。
薄暗い室内で見る瀬田はさっぱりしていた。髪は短く刈られ、制服のズボンにも折り目がついている。身ぎれいにして話したいことがあるのだろう。
胸騒ぎがするのは春樹だけではないようだ。購買部でも静かだった森本が、カレーパンの袋を開けながら訊く。
「なんだよ、瀬田。改まって」
瀬田は咳払いをして居住まいを正した。大きな四角い顔を真っすぐ前に向ける。
「おれ、退学しようと思う」
カレーパンが机に落ちた。どこを見ていいかわからなくなった春樹がうつむく。
「退学って、まだ七月になったばかりだぞ! 一学期も終わってないのに!!」
森本が両手を机について立ち上がった。第二食堂を使う生徒は少ない。居合わせた生徒の視線が森本に集中する。
「金のことか?! なんとかなるって言ってなかったかよ、親戚に借りるって!」
「あれは遅れてた従業員の給料だ。森本、できたら座って聞いてほしい」
「のんきなこと言ってる場合か! 今からでも先生に」
「先生にも相談したけど、どうにもならない。もう無理なんだ」
投げやりでないだけに無理という言葉が重い。森本の頬は一気に紅潮し、そして見る見る色を失っていく。
森本と瀬田は、おそらく春樹のいないところで家の内情を話していたのだろう。考えられることをすべて並べて検討をうながす森本と、暗い顔で経過を報告する瀬田の姿が容易に想像できる。
瀬田の家は工務店を営んでいた。経営不振で店をたたんだのは瀬田が高校に入学してからのことで、当初は瀬田の両親にも通学させる気持ちがあったようだ。今もあるのだと思うが、父親が体を壊し、瀬田は停学を覚悟でアルバイトを増やしていた。
「座ってくれ、森本。頼む」
森本がどさりと腰を下ろす。肩と胸が上下していた。瀬田は落ち着いた顔で静かに続けた。
「授業料も滞納してる。お袋もパートかけもちして痩せてきた。丹羽にもあんなとこ見られたしな」
「あんなとこ……?」
森本の声に、瀬田が照れたように頭をかいた。
「バイト増やしたら眠くてな。授業中の居眠りが続いて指導受けたんだ。第二指導室から出てきたとこを見られた」
瀬田が春樹に頭を下げる。大柄な瀬田のおじぎは窮屈そうで、胸が絞られた。
「あのとき家に帰れって言ってくれなかったら、今ごろ停学になってたと思う。追い出されるようにやめるのは惨めだ」
小さく息を吐いた瀬田が、春樹を真正面から見た。
「負担かけたな、丹羽。退学が頭にあったこと、言わないでおいてくれてありがとう」
口を開けた森本が春樹を見た。怒りとも驚きともつかない顔だった。
「どうして黙ってたんだよ、丹羽! おれと瀬田が中学一緒だったって知ってるだろ!」
「言わないでくれと頼んだのはおれだ」
森本はまだこちらを見ている。瀬田に視線を移すのが怖いのかもしれない。
「お前とは小学校も中学校も同じだ。家も近い。自分で言いたかった」
言いたいことがありすぎるというように、森本の口が動く。しかし言葉はなかった。膝に手を置いて目を泳がせる。
「家族で話して決めたことだ。森本、丹羽。聞いてくれてありがとう」
喉をつまらせるしょっぱいものを飲み下した。森本も顔を上げられずにいる。
春樹は部屋全体を見てみた。三人をうかがっていた数人の生徒も、今は昼食を食べている。瀬田と同じように生活に負われているのか、単語帳や教科書を見ながら食べる生徒もいた。学生食堂では見られない光景だ。
「食べよう。お腹へった」
わざと明るく言い、惣菜パンをかじった。森本が睨みつけてくる。
「丹羽……お前、こんなときに」
「いいんだ、森本。こんなときだからだ。食べないと体が動かないし、頭も回らない」
春樹に続いて食べ始めた瀬田が無理のない笑顔をみせる。森本は渋い顔でカレーパンを手にとった。
空は曇りで蛍光灯も抜かれている。美術室を改装したため、油絵の具の臭いがいまだにとれない。財力のない生徒、節約に励む生徒は清潔で明るい学生食堂には不似合いなのだと暗に言っている。
負けるな。春樹は瀬田に念を送りながら食べた。誰も負けてはならない。もちろん、自分も。
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