Cufflinks

第一話・焔 第四章・3


 予想は的中した。世の中は本当にわからない。
 おとなしい塔崎が春樹を愛人にと言い、サディストの勇次が事後に男娼の涙を拭う。
 そして今、全裸の春樹は社長候補に屈辱的な格好で犯されていた。
「は、いいな……男も、悪いものじゃない」
 次期社長は口数が多かった。いいだろう、と何度も言われた。男を抱き慣れていないのか前戯もへったくれもない。痛みと不快感しかなく、しかも体勢が窮屈だ。手首は毒々しい真っ赤な縄で縛られ、脚にも赤いものが巻かれている。手首と違うのは光沢のある幅広のテープという点だった。
「フフ、どうだい? 自由を奪われてのお仕置きは。いやらしい顔をして……」
「…………い、び……え、ぐ」
 いいですと答えたいのだが、軟らかいピンポン球のようなものが口にあるため言葉にならない。
 客の名は板倉という。部屋のドアが閉まるやいなや、横っ面を張り飛ばされた。板倉様と呼べと怒鳴られたとき、音が漏れるのではと心配したのは春樹のほうだ。
「う……! 出る……出すぞ、あ、ありが……たく……!」
「いぎ、うヴっ!」
 体液が直接中に出された。春樹の腰をつかみ、ハッ、フッ、と息を吐く板倉の顔を仰ぐ。
 見られない顔ではない。訊いてもいないのにスポーツジムで鍛えていると言っただけあり、筋肉の造形美も見事だ。
 うわべだけの紳士は小鼻を膨らませて男根を抜いた。機械で鍛えた腹筋を動かして呼吸を整え、薄笑いを浮かべて春樹を見下ろす。
「ようし、よく頑張ったな。可愛い顔に戻してやろう」
 板倉が春樹の後頭部にかかるラバーを無造作に引っ張る。絡んだ髪まで引かれて悲鳴をあげそうになった。
 ピンポン球の両脇に金具があり、太い一本のラバーとつながっていた。後ろで長さを調整するバックルがあり、板倉は装着時にうなじの上でゆるめたり締めたりした。きつすぎるままで調整を終え、痛くてかなわなかった。
 板倉はSMに興味があるのに慣れていない。床にはカラフルな縄や玩具の手錠、首輪、赤いロウソク、ハタキに似た形状の鞭などが散乱している。
 どれも少し使ってみて、春樹が痛がったり大きな音が出たりして中断した。脚も縄では縛れず、ボンデージテープと書かれたケースから出したガムテープのようなもので、腿の裏とふくらはぎを合わせて固定しただけだ。

 『怖いのは知ったかぶりの素人だが、それは自分で経験するしかない』

 荷造りテープで脚を縛られたときに高岡が言っていた。板倉のおかげで理解できたわけだ。
 客がベッドから離れた隙に体を横向きにする。伊勢原の凌辱とたいして変わりない。体のあちこちが痛んだ。
 ベッドカバーの上で抱かれたため、茶と白の縞模様の布地がローションなどで汚れている。口中を舐めると嫌な味がした。板倉の服を脱がせるときに洗っていないものを咥えさせられた。口での奉仕は少しだけでも、陰部特有の臭いとピンポン球の苦みで吐きそうになる。
 板倉にましな点があるとすれば、早いところだ。入れてから射精まで数分とかからなかったのは助かる。焔が忍び寄る暇もなく、ポイントを外したまま終了した。春樹の陰茎は少しも頭をもたげず、脚の付け根に垂れている。
 セックスは短くてもSMの真似事は体力を要する。まどろみかけた春樹に、板倉の言葉が警告を与えた。
「若いぞ。可愛い顔だ。反抗的でもない。今は俺のテクでノビてる。日付けが変わるまでの約束だが多少の延長はいいだろう。会社の運転手ではなくてハイヤーだ。金でどうにでもなる。男を試したいなら来てみろよ」
 携帯電話を閉じる音がした。とっさに眠ったふりをする。案の定、板倉がベッド脇に立った。ニセの寝息をたてる春樹を指で突き、フン、と笑う声がした。足音が離れていく。
 浴室かトイレの扉を開けたようだ。どちらの扉か判別できない。トイレならすぐに出てくるかもしれない。
 そのときはそのときだ。春樹は建物の場所と間取りを確認するために目を開けた。
 ここは初めて利用するホテルだが、窓の向こうに見たことのある高層ビルがある。佐伯とのホテルからも見えたビルだ。覚えている避難先はあのビルの周辺にあるはずだ。
 部屋はツインだった。スイートに引けを取らないと豪語しただけあり、廊下も長くて部屋全体が広い。
 トイレと浴室は独立しており、ウオークインクローゼットもあった。ふたつのベッドと応接セットの間には冷蔵庫、ワインセラー、洋酒のミニボトルなどが入った飾り棚があり、ちょっとした目隠しになっている。
 棚の向こうにあるソファで、板倉は仲間に電話をしていた。来るのは板倉と似たり寄ったりのやからだろう。
 逃げるべきだ。
 幸運にもシャワーの音がした。このチャンスを逃がしたら終わりだ。
 脚のテープは縛られている手でも外せた。脚は伸ばさずに手首の縄を見る。細くはないが表面はツルツルしていた。本職である高岡が縛ったものとは比ぶべくもない。雑な結び方だ。
 板倉が縄を持ち出して春樹の手に触れたとき、春樹の口はまだ自由だった。いきなり殴り、場所もわきまえずに怒鳴る板倉をうっとりと見つめ、猫なで声で言ってみていた。

 『縛ってくださるの……? それなら、縛るところを見せて……好きなんです、見るの』

 小鼻をひくつかせた板倉は不慣れな手つきで縛った。男娼の手首を、男娼の目の前で。
 板倉は体を鍛える成人男性だ。力も強い。結ぶ手順は覚えていて縄も滑るのに、ぎちぎちして動かない。
 落ち着いて縄の重なりを見る。高岡が縛ったときの端は結び目の内側に巻き込むようにして隠してあったが、板倉の縛りは違った。片方の手首の外側から縄の端が飛び出している。縛ったときはなかった。素人の緊縛であるため、動くうちにゆるんで出たのだろう。
 出ている端を歯で噛み、少しずつ押し上げていった。最初はきつくても縄は思いのほか素直に動いてくれた。徐々に隙間ができ、縄の動きが見やすくなった。浴室に聞き耳を立てながら歯を使ってゆるめていく。
 シャワーの音がしている間に手首を抜くことができた。脚をゆっくり伸ばしながらさすり、汚れた穴をティッシュで拭く。窓の外の目印である高層ビルをもう一度見る。
 大急ぎで衣類を身につけ、靴を持って部屋から飛び出した。


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