Cufflinks
第一話・焔 第四章・3
翌朝五時。春樹はインターフォンの音で起こされた。
来訪者の名前を聞くなり覚醒し、今は直立不動の姿勢をとっている。
「先日の答案用紙と塾の資料を」
それだけ言った高岡は、缶コーヒーを開けてテレビをつけた。ダイニングテーブルにはサンドイッチと野菜ジュースだ。
カウチソファに言われたものを置き、高岡から一番遠い椅子に座る。狂犬の一挙一動を注視した。
朝の高岡は機嫌が悪い。信じがたい点数の小テストで怒りが割り増しされるのは目に見えている。
答案に目を通した高岡がコーヒーをあおり、言った。
「今の気分を言ってみろ」
「何で高岡さんを部屋に上げちゃったのかな……って」
しまったと思ったときには空き缶が春樹のひたいに命中していた。ろくすっぽこちらを見ないくせに、何故当たるのだ。
「痛いじゃないですか! 一応商品なんですよっ!」
片方の眉を上げる、高岡独特の嘲笑が浮かぶ。凄みが加算された笑みだった。
「口だけは達者になってくるな。食べろ」
春樹は口先で礼を言い、サンドイッチをかじった。
「食べながら聞け。塾に通うからといって通学をおろそかにするな。まず授業に集中しろ。疑問点は早めに教師に訊け。前にも言ったが、理屈を理解しなければ話にならん」
「はい……」
もごもごと返事をした。これほど基本的なことを言われる自分と新田では、釣り合わないにもほどがある。
「その花は新田からか」
いつから見ていたのか、高岡の光る目がキキョウをとらえていた。
「はい。引っ越し祝いに持ってきてくれました」
「新田が贈った花のそばで食べるからか。その食べっぷりは」
言われて初めて、がつがつ食べたと気づいた。サンドイッチの袋を見る。口も拭かずに凝視する春樹を、高岡はすぐにいぶかるだろう。現に突き刺さる視線が外れない。
テストの結果が悪く叱責を覚悟しても、高岡を前にすると浮き上がる。妙に息が合う会話をするうちに力が出てくる。
反抗心からでも、結果的に元気になることが多かった。
(だから。こいつの仕事なんだ。飴を与えるタイミングがうまいだけだ)
野菜ジュースを飲み干し、手を合わせて席を立つ。投げられた缶を拾うときに、いつもより低い声がした。
「人前でそれらしい振る舞いをすることも仕事のうちだ。気をつけるように」
シンクに空き缶を叩きつけていた。キッチンを背に高岡を睨む。
この男は何もわかっていない。自己の存在が商品に与える影響を理解していない。
誰のせいだ。突き放したかと思えば、林の切れ目から顔をのぞかせる狼のようにやって来るのは誰なのだ。
高岡がソファから立とうとする。春樹は尻尾の振り方を、ものの見事に間違えた。
「きっ、昨日、修一、何もしなかったんです。言葉で愛を確かめました」
双眸の光が鋭くなった。立ち上がりかけた腰がソファに下りる。
「あんなに優しい人はいません。出会えてよかったと思える、ただひとりの人です」
感情のおもむくままに話した。繰り出される言葉は方々へ散り、迷子になる。
「でも、がっついたのは高岡さんのせいです!」
お前が来ると食欲が出て口もなめらかになる。理由など知らないし考えたくもない。
言えるはずもなく、春樹は口を結んだ。
脈絡のない話を聞かされて憤慨しないほど、高岡はできた男ではない。やおら立ち上がると向かってきた。
今の春樹は尻尾の振り方を修正できる状態にない。
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