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第一話・焔 第四章・3


「あ……! あ! い……いい……っ!」
 バスタブの縁に片足を乗せた春樹は、後ろから勇次に貫かれていた。
 今日の勇次は尿を飲ませることも、口で勃たせることもさせなかった。キスしながら互いの性器を手でまさぐるという、ごく普通の愛撫をしただけだ。
 欲しくなったら態度で示せと言われ、春樹は勇次の雄を握ったまま厚い胸に舌を這わせたのだ。
 前戯はないと思っていただけに、穴をほぐされたときは切迫した声が出てしまった。ローションも使った。ローションは先にチェックインしていた勇次が用意したのだと知り、つながる前に自分からキスをした。
「いい……あ……っ、あ」
 鏡を通して勇次の肉体が見える。健康的な色に焼けている肌はなめらかで、吸いつくようだった。ペントハウスでは服を着ていたため、この美しさに気づかなかった。
 女性に好かれそうな顔とは対照的に頑健な体は、化粧品の輸入代行業者というより、船乗りのようだった。
「も……だめ……いき、いきそ」
「まだだ、わんちゃん」
 腿の裏をさすられ、バスタブに乗せていた足を下ろすよう促される。焔は下半身を中心に、喉のすぐ下まで絡みついていた。胸や背中を濡らす汗も、高くなった体温ですぐに乾く。
「しかし熱いな、お前は。こないだは薬のためかと思ったけど。焔のせいか?」
 空気の漏れる声で「そうです」と言い、シャワーヘッドに手を伸ばした。勇次が春樹の手を押さえる。
「……み、みず」
「水が欲しいのか?」
 首を縦に振る。勇次がシャワーを取り上げ、水を出した。勢いを弱めた状態で口もとに寄せられる。喉を鳴らせて飲む春樹からシャワーが離れた。
「飲みすぎは腹によくないぜ」
 耳鳴りに邪魔されて勇次の声が聞こえない。もう一度シャワーヘッドに伸ばした手をつかまれた。
 耳のすぐそばで「言うことを聞くんだ」という、男の声がした。何を聞くのかわからずにうなずく。左を向かされた。壁と、壁の角を持つように手を誘導される。
「死ぬ、とか言うなよ。通報されたら、格好悪い」
 言葉を区切り、ゆっくりとささやかれた。理解した春樹が首を縦に振る。
 両手で壁にすがると同時に、熱い律動が再開した。
「い、い……! そこ…………もっと……!」
 勇次はあくまで自分のリズムを保った。春樹の腰骨をつかんで自分自身を打ちつける。たまに腰から尻、腿を叩き、短く上がる悲鳴を楽しんでいるようだった。
 雄々しいものが弱点を通り過ぎ、かすめ、春樹を焔の鎖から解放させない。
 春樹は見えない炎の連なりに全身を絡めとられ、分別のないことを口にした。
「いきた……いきたいよ! だめなとこ、そこを突いて! いかせて……っ!」
 耳朶を強めに噛まれた。噛んだまま笑う、くぐもった声が聞こえる。
 鏡の中にいる男は自分の反応を隠さない。商品の尻に砲身が出入りする様を見る目も、笑いながら呼吸を乱す顔も、すべて春樹に見せている。
 セクシーな容姿の勇次を見たり、与えられる痛みを快楽に変えてしまう自分が恥ずかしい。
 射精感が急激に強くなり、片手で勇次の腕に触れた。
「は、早くッ! もう、も……ああっ!」
 腿の外側を強く叩かれた。胸の一部にも痛みが走る。勇次が春樹の乳首に爪を立てていた。皮膚が破れてもおかしくないほど、深く喰い込んでくる。
「……い、た、痛い……あっ、う」
 罰にしては体の芯が熱い。口から唾液が垂れそうで指を噛んだ。
「すごい締めつけだな。前にしたときより、突っ走ってる」
 背骨に電気が走ったようになった。かすむ目で横を見る。春樹が噛んでいた指を勇次が引き抜き、しゃぶっていた。
 指の股まで舌が入ると、もう目を開いていられなくなった。
「────────ッ!!」
 視界が白い光で満たされた。体の、奥の奥がうねり、痺れるような快感が次々に打ち寄せてくる。うねりは熱に変わり全身に広がった。気持ちよさに我を忘れる。
 大声を出してしまったのか、勇次の手に口をふさがれていた。
 ものすごい感覚にまとわりつかれ、自分の終わりがわからなくなりかけた。それでも溶鉱炉には落ちていない。中にいる勇次の熱も息づかいも認識できている。
 後ろで勇次の声がして、怒張したものが抜かれた。背中を押されて尻を突き出す。腰に生暖かいものがかけられた。
 焔が去り、膝から崩れそうになった。勇次に二の腕を持たれて壁にしがみつく。目がくらみそうだった。
「よかったぜ、わんちゃん。おれは湯に浸かってく。シャワーを浴びたら部屋に行け。時間まで楽にしてろ」
 勇次はバスタブに湯を張り始めた。弟には、兄の三浦とは違うプライドの高さがある。浴室でセックスしても男娼と入浴する習慣はないのだと解釈しようとした。
 本当は客に口をふさがせるほど感じたことへの罰かもしれない。ばかな犬と同じ空気を吸うのが嫌なのかも……。
 春樹は言葉もなく、うつむいて体を流した。排水口に吸われる湯と共に、焔の赤い尾が渦を作って消えていく。
「わん公。おれは満足した」
 シャワーをとめて振り返る。一瞬視界がゆらいだのは、顔に伝う汗のためだろうか。
「お前の仕事ぶりに、満足した」
 鼻の奥がつんとして、口の周りがわなわなした。バスタブで笑う勇次の顔も揺れている。
「口ん中が砂糖だらけになるくらい、優しくしたつもりだぞ。なに泣いてんだ」
 答えられなかった。自分でもわからないからだ。シャワーホースを握りしめ、首を横に振ることしかできない。
「手のかかるわんちゃんだな。来い。一緒の風呂は嫌いだが、涙を見るのは好きだ」
 ふらふらと近づき、バスタブの横でひざまずいた。勇次の手が頬に触れる。涙が描いた弧を指でなぞられた。
「言ってみろ。どうして泣いた」
 二度のわからないは、この男には効かない。思いつくことをそのまま答えた。
「……満足したと……おっしゃっていただけたから」
「そんなことでか。褒められ慣れてないんだな」
 高岡も同じことを言った。確か、初めて客がついた翌日だ。
 愛情と叱責に触れる機会が少なく、慣れないことに心が揺れるだけなのだと。
「おれはお前の怒ったときの目と、焔が気に入った」
「焔が……気に入った……」
 微笑みの質が変わる。動物的でつかみどころのない、勇次らしい勇次が戻ってきた。
「ああ。大いに気に入った」
 ふたり同時に目を閉じた。バスタブの縁をつかむ春樹の手に湯がかかる。
 あふれる湯が体を、サディストの唇が心を温めた。




 車道の小さな段から伝わる感触に、体がかすかに痛んだ。顔をしかめるほどではない。
 浴室で、立ったまましたのだ。手加減されても相手はサディスト。叩かれたところには軽い痛みが残り、無理な体勢をとらされた股関節や腰はそれなりにまいっていた。ルームミラーに稲見の目が映る。
「噂とは違うお方で驚いたよ。ところで、その、本当に」
 稲見が抱く懸念はわかる。薬物を使用されたのではないか、だ。
「歩き方も顔も普通だったからいいとは思うけど……大丈夫なんだろうね」
「大丈夫です。痛いことはなさらなかったし、変わったものも使われませんでした」
 問題ない受け答えのためか、稲見も再度訊ねることはしなかった。
 新宿副都心の高層ビル群が小さくなっていく。勇次も同じビルの林を見ているだろうか、などと思った。


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