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第一話・焔 第四章・2


 予想は的中した。自分で思うのもおかしな話だが、ほらみろ、という気分だった。
(何が辞退だ。かっこつけやがって)
 百貨店の袋から紙コップとオレンジジュースの瓶を出し、ソファを盗み見た。
 真新しいカウチソファに足を投げ出してくつろぐ男は、アーム部分に肘を乗せてテレビを見ていた。
「二杯用意しろ」
「……いいです。喉、渇いてませんから」
「文句を言わずに飲め。引越し祝いだ」
 いい年をした大人は引越し祝いにオレンジジュースを持ってこないと思うが、そつなく返事をしておいた。
 紙コップにジュースをつごうとして、初めてジュース瓶のラベルに気づいた。春樹が好きで常備していたものだった。
 輸入品のためか扱う店が限られており、竹下が出勤途中に百貨店で買うことが多かった。
 偶然とは思えない。高岡は春樹の好物を把握していたのだ。前の部屋で、冷蔵庫の中を何度か見て。
 高岡がテレビを消した。春樹は無言で高岡の横に腰を下ろし、紙コップをひとつ手渡す。
 外国人に似た横顔は今日も整っている。ネクタイのないラフなスーツだが、ジャケットは脱いでいた。白いシャツの襟からのぞく喉のラインが男らしい。
 数秒で飲み干した高岡とは正反対に、春樹のコップには半分以上ジュースが残っていた。
 何を見ている、という顔の高岡と目が合い、頬に火がついた。補助テーブルにコップを置いて立ち上がり、ぎこちない歩き方でキッチンに向かった。
「どこに行く」
「あっ、あの、おかっ、おかわり、つぎますね」
「もういい」
 蓋を開けようとしていた手がびくりとする。
「でも、あの、お礼です。僕が好きなジュース、買ってきてくれたから」
 数秒後、高岡が吹き出した。大きな声をたてて笑う。
「俺の金で買ったものを俺への礼にする仔犬は、お前くらいのものだ」
 耳の先まで血がのぼった。よほどおかしいのか高岡の笑い声がとまらない。膝を打つような音もする。
 だんだん腹が立ってきた。部屋を褒めるでもなく、勝手に来訪して人をばかにする。
(勝手に……来訪……)
 春樹は口を開けて振り返った。
「どうしてここが? 新住所は担当社員のみが管理するって」
 高岡は声を出して笑うことをやめ、にやりとした顔でこちらを見た。
「つけてきた」
 呆れて言葉も出ない。日曜の昼間から商品を尾行して悪びれることもないとは。
 ほんの一瞬でもこの男が合鍵を持たないことに動揺するのではなかった。
 また熱が差したが、平静を装ってソファに座った。補助テーブルに手を伸ばしたら高岡にジュースを横取りされた。
「何するんですか。僕のです」
「礼だと言ったのは誰だ。飲んでやる」
 高岡はジュースをあおると紙コップを渡してきた。受け取った瞬間に腕をつかまれる。空のコップがラグマットを越えて床に転がった。
 あっという間に組み敷かれて両手首をつかまれる。脚の間に高岡の膝が入った。
「たかお……かさ……!」
「新田につらいと言えたか?」
 灰色の瞳が春樹を見る。いつもの射貫かれる感じとは違う。真意を探る鋭さもない。
 首を横に振って高岡から目をそらした。
「春樹、よく聞け」
 手首を持つ手に力が入る。乱れた脈を悟られそうで、目の奥が熱くなった。
「今回のことでは意地を張るな。騙されたと思ってつらいと言ってみろ」
「……無理です。言おうとしても失敗ばかりで」
「簡単にあきらめるな。新田を失いたいのか」
 逃げる新田をつかまえてつらいと言えというのか。電話でさえ新田のお荷物になるのに、どうやって。
「言えません。これ以上甘えられない。修一を怯えさせたくないんです」
 動物のような目が強く光る。見慣れた、好戦的な目つきになった。
「新田はお前をホテルに誘ったと言ったな。お前の体を傷つける怖さを乗り越えて誘ったわけだ。気持ちひとつ伝えられないお前とは大違いだな」
 目の奥の熱は頭に移動した。高岡と睨み合う。春樹の奥歯がぎりっと鳴った。


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