Cufflinks
第一話・焔 第四章・2
「受けることにしたの? 三浦勇次との仕事。あ、そこに立って」
壬が店の隅を指した。革張りのソファに洋服が置かれる。ソファの脇に立った春樹を壬が採寸した。
「やっぱり。前に来たときより痩せてるね。食べてる?」
服は十点近くになり、壬はシャツやジャケット、カットソーをあてがっていく。春樹が着たことのないタイプが多い。
「これと、これかな。あと、このシャツも。軽めのものは下を選ばないから着回せるよ」
合わせたばかりのシャツを見る。袖のボタンが付いていないが、いいのだろうか。
「あ、あのこれ……ボタンが……」
壬は小物が並ぶあたりに移動していた。木の枠にガラス板の入ったケースを持ってくる。
ソファにケースを置き、蓋を開けた。
「カフリンクスでとめる袖だから。これがいいかな」
春樹からシャツを取り上げた壬が袖口を折り曲げた。布の重なりに水色の石が入ったカフスボタンを当てる。
控え目な光沢のあるシャツは、よく見ないとわからないほど薄いピンク色だった。スカイブルーの輝きが映える。
「三浦勇次は伊達男だよ。お洒落すると気に入られる。着てみて」
上下数点の洋服を持って試着室に入った。古着に似たジーンズも、カーゴパンツも、ジップアップのカットソーも、着てみると意外としっくりくる。普段着なのに崩れた雰囲気がない。
最後に濃いグレーの上下とピンクのシャツを着た。カフスボタンをはめてもらうと、袖口ばかりに目がいった。
あつらえたかと思うほど布地が手首に沿う。ジャケットの端から見える空色が涼しげで、清潔な感じもした。
「いいんじゃない。どう?」
鏡の中にいる春樹は、二、三歳年上に見えた。稲見もお洒落なものでと言っていたが、これなら大丈夫だろう。
「いいと思います。着心地もいいです。カフスボタン、大人しか合わないと思ってた」
「うちは若い子向け中心だから、迷ったらうちでどうぞ。ポケットつけようか」
花の香りがする壬が、顔をくしゃっとさせて装身具を外す。春樹は作り笑いして、拒否の意味で手を振った。
「ポケット、今回はいいです」
片膝をついていた壬が顔を上げた。眼鏡の奥にある目が光る。
「相手は三浦勇次でしょ。用心しないと」
「ほんとにいいんです。ごめんなさい、脱ぎますね」
着替えてレジカウンターに行くと、柔和ではない顔をした壬がいた。
「悪いけど、ポケット作らせてくれないなら売れないよ」
「え……」
天板に肘をついた壬に見据えられた。心の底まで見通す、日本人形に似た瞳だ。
「きみ、変なこと考えてるでしょ。すごく好きな人がいるんだよね。ヤケになってどうするの」
「……僕がいないほうが、あの人のためになるから。邪魔しちゃいけないんです。未来のある、優秀な人だから」
言葉の最初から震えていた。持っていた服をカウンターに置く。中庭を見るとツタのポーチが視界に飛び込んできた。高岡と交わしたキスがよみがえりそうで一歩も動けない。カウンターの上に眼鏡を置く音がした。
「気に入らないなあ」
怒った声ではないが、大きな声だった。カウンターの縁を指で叩いている。
「その人に未来があって、きみにないの? そんなわけないでしょ。きみを邪魔にする人なら最初から縁がないんだよ」
「縁がないんだって、僕も思います。だから、もう」
「だから、じゃないよ!」
壬がカウンターを叩く。鋭い音に身がすくんだ。
「何でそんなに遠慮してんの。ふられたならともかく! そんな偉い相手なわけ?」
腹の底が熱くなった。壬には感謝している。人懐こい笑顔も好きだ。
人柄のよさと許せることは違う。土足でプライベートの中心に踏み込まれるいわれはない。
「僕がいなければ楽になれるかって訊いたら、楽になれるって言ったらどうするって、そう言われた! 僕なんかいないほうがいい! 好きな人を苦しめたくない、楽になってほしいって思うのが、悪いことなんですか?!」
商品の整理をしていた従業員が飛び上がった。壬は春樹から目を離さない。
「楽して恋ができると思ってんの?」
ぴしゃりとした声に頭を打たれた。胸の深くに突き刺さり、容易に抜けそうにない。
「楽になれる、なんて言葉が出るってことは、相手も苦しんでるんだよね。きみはひとりで降りるんだ」
「ちが……」
壬の小柄がカウンターから出てきた。触れなくてもわかる熱気に押されて自然と数歩下がる。
「縫い上がったときにまとめて渡す。いないほうがいい子に売る服はないから。その人ともっと話すこと。いい?」
これ以上どう話せばいいと思うのだが、気づいたら「はい」と言っていた。
女性的で小さな手が春樹の頭を撫でる。見た目より強い力だった。
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