Cufflinks
第一話・焔 第四章・2
翌日、塔崎と渋谷で会った。
花束は買わなかった。昨日の稲見の言動から、社は必要以上の接待を望んでいないと判断したためだ。
「ハルキくんは紅茶がいい? 温かいものにしようか。冷房がきいているしね」
「あ……は、はい」
駅構内のカフェを利用するとは思わず、返事が遅れた。
こういう店での注文に、塔崎が不慣れな様子を見せないことも意外だった。
「座る席がないようですね」
客を立たせるのはさすがにまずいと思うのだが、塔崎は笑顔で返した。
「たまにはいいよ。きみが疲れていなければ」
塔崎は笑顔で椅子のないカウンターに向かう。春樹は隣に並び、砂糖を溶かしながら礼を言うタイミングをはかった。人の出入りが多いし、前は壁、横にある窓は改札口近くの通路に面している。
有線放送の音楽が静かなものに変わった。言うなら今だ。塔崎を見ようとしたとき、腿に違和感を覚えた。
塔崎の手がもそもそと動いている。下から上へ、また下へ。
カップを皿にぶつけそうになって両手で持った。春樹の肩に塔崎の肩が当たり、ひそめた声が頬に貼りついた。
「稲見さんには内緒だけど、ホテルを予約してあるの……いいでしょう……?」
カップを持ったまま顔だけを塔崎に向ける。上客の目がボクサーのものになっていた。
「そんな顔も可愛いね。好きだよ……わかってくれているよね?」
家政婦の「か」の字も出ない。竹下に職を世話してやったのだから自由になれ、とはひと言も言われなかった。
優勢を保つボクサーが大胆になっている。
以前の塔崎とは何かが違う。人目もはばからずに脚を触るなど、できない男だったはずだ。
春樹は視線を壁に移し、うなずくことしかできなかった。
うつ伏せになり、肩で息をした。塔崎はベッドの端でバスローブの前を合わせている。
「こんなお部屋でごめんね。どうしてもきみとこうしたくて、今日になって予約したから」
「立派な……お部屋です。僕も嬉しい……」
渋谷駅近くのビジネスホテルだった。とはいっても高層階に位置した部屋で、エレベーターもカードキーがないと停止できない。詫びるような部屋ではなく、春樹の返事にも感情は表れなかった。
ダブルベッドの隅に春樹のシャツが引っかかっている。床には塔崎と春樹の服が散乱していた。客との時間で衣類を散らかしたのも、シャワーを浴びなかったことも初めてだった。
「急だったのにありがとう。可愛い子だ」
背中に乾いた布地が触れる。塔崎が春樹を抱きすくめたため、バスローブが密着したのだ。
行為の間じゅう、塔崎は「可愛い」を連発した。焔は顔を出そうともせず、「可愛い」攻撃で萎えそうになった。演技で切り抜けたようなものだ。最後は自分で触って果てたのだから。
サイドボードに埋め込まれた時計を見る。午後の二時近くになっていた。
話が弾み食事がしたいと塔崎が稲見に電話してから、一時間以上経っている。
「稲見さんに、もう一度連絡したほうが……」
うなじに唇を寄せていた塔崎がぴくりとした。機嫌を損ねたかとすくみかけたが、塔崎はそそくさと自分の携帯電話を出した。稲見の声が漏れ聞こえる。お迎えに……と言っているようだ。
「話が尽きないのです。あと一時間ほど、いけませんか? 僕がハイヤーを用意しますので」
それには及ばないという旨の返答がある。こんなことになっているとは露ほども疑っていない声だ。
塔崎は電話を切ってベッドに放った。いたずらをする子どものような投げ方だった。
「ふふ。稲見さんに悪いことしちゃったかな。きみが可愛いから、仕方がないよね」
ベッドに上がった塔崎は無邪気な顔で言った。春樹を仰向けにさせる。
「塔崎様、なにを」
「きみが可愛いから、いけないんだよ……」
塔崎が春樹の足もとに膝立ちになる。バスローブの合わせ目から手を入れ、その手を前後に動かす。自分で自分を興奮させていた。
(こいつ。二度目をする気か)
予定外のセックスはまだ我慢できる。強気に出る塔崎が怖かったこともあるが、体を開くことが本来の仕事だ。だから許した。これ以上は嫌だ。
「今日はもう……僕はまだ、お礼もお伝えできていません」
「家政婦さんのこと? そんなこといいよ。可愛いね……困った顔がまた……ああ、可愛い……可愛いよ……!」
ベッドに肘をついた塔崎が、春樹のつま先や足首、向こう脛にキスをする。息を荒くしてキスする箇所を上にずらしていく。上へ上へと唇を移動しながら、自分の中心をものすごい速さでしごく。
「と、塔崎様、やめ」
背中が一気に粟立った。塔崎は春樹の脚にしがみつき、うめき声を出した。腿の内側に、鼻息とも呼気ともつかないものがかかる。中年男の腰が何度か震えた。
射精したのだ。一度抱いた直後に、あっけなく。春樹の裸体を玩具にして。
「……っく、はあっ、は……出ちゃった」
変態に奉仕するのが仕事ではあるが、春樹はきつく目を閉じた。粘っこい声に心を蝕まれそうだ。
ティッシュが抜かれる気配がした。解放されると思い起きようとしたが、素早く押さえつけられた。
「も、もう。どうか」
「僕がどれだけきみを好きか……きみに笑われないように、ああいうカフェでのお行儀も、練習したんだよ」
塔崎の唇は濡れて光っていた。愛想のない態度をとってはいけないと思いながらも、体が勝手に逃げてしまう。
「きみと一緒ならどんなところにでも行く。好きなんだよ、ほら……こんなに」
股間に妙な感触がした。慌てて下を見る。脚の間に塔崎の頭があった。
「いけません! やめ……あっ、う!」
まだ白いものが残るところが咥えられた。出して間がなく敏感になっている箇所に、急速に血が集まる。
「嫌です、やめてください! やめて!!」
舌と歯と唇が離れた。勝利を金で買うボクサーが口もとを拭う。
「こんなことは言いたくないけれど、お礼だと思ってくれないかな。これを好む客もいると聞いているよ。きみにならしてみたいと……前から────」
「…………塔崎、さま」
抵抗する理由が消えた。礼をしろと命じられたと同じことだ。
カーテンが閉められていない窓を見る。ここから目と鼻の先のホテルで伊勢原に凌辱された。先月のことだ。
今は高級な客が春樹の男根を口で愛撫している。上気した顔を振り立てている。
一か月でこうも変わるものか。粗末な帯で縛られて、汚れたカーペットに転がっていたのは誰だったのだろう。
口の端が上がってしまった。笑った顔を見られないように両手で覆う。
やがて昇りつめ、塔崎の名を呼んで終えた。腰も浮きそうになかったが、シーツをつかむという演出もした。
塔崎に抱きしめられたとき、理由のわからない涙が滲んだ。
次のページへ