Cufflinks
第一話・焔 第四章・1
弱さというものは、すぐにはぬぐい去れない。
春樹はしわができるほどの力でシートベルトを握っていた。運転席にいる高岡がサングラスを外す。
「降りろ」
左隣から聞こえる声が低い。春樹は目をきつく閉じてわめいた。
「やっぱり無理です! 修一に何て言っていいかわかりません。休ませてください。今日だけでいいから!」
運転席側のドアが開閉する。助手席のドアが開いて手首をつかまれた。シートベルトを外され、襟の後ろを持たれる。シートにしがみつくが、強く引かれて苦しさに負けた。
「くるし……! やめてくだ、さ」
正面校門の近くに停められた高岡の車を、何人もの生徒が憧れや興味に満ちた目で見た。
キザな車から乱暴な手段で降ろされた春樹は、靴のかかとが擦り切れそうな勢いで引きずられていく。
校門のレールに靴が触れたとき、教師が近づいてきた。
「失礼ですが、ご父兄の方でしょうか」
高岡は教師に一瞥もくれない。会釈すらしなかった。風紀に厳しいことで有名な教師が高岡の前に回り込む。
「校内にお入りいただくには手続きが要ります。来校者台帳に……」
体が反転した。
と思ったら、肩が教師に当たった。高岡は不審者の侵入を阻む教師に、春樹を物のように放ったのだ。
高岡に腕をとられて通学鞄を持たされる。
「死んでも早退するな。授業に集中して昼食は必ず食べろ」
挨拶も名乗りも言い訳もせずに、高岡が車に向かう。教師は春樹の体を受けとめたまま唖然としていた。
晴天の下、常識に欠けた男の車が生徒の視線を浴びながら去っていった。
すべての授業を気力だけで受けたあと、担任から指導室に呼ばれた。
春樹を送ってきた男は何者なのか、今日は登校したくなかったのか、だとしたら原因は何だ、父親とは話しているか、などと訊かれた。
遠い親戚の人です、寝坊して登校が億劫になってしまいました、話しています。
いつもどおりの嘘八百を並べる。高岡の職業や、父の顔は見たこともないなどと言えるはずもない。
ひとりでの生活は乱れやすい、何かあれば相談しなさい、と言われて解放された。
廊下の窓から外を見る。今朝とは打って変わって雲が低い。灰色で厚い雲の底が黒かった。
校庭が清掃された形跡はなかった。新田は登校できなかったのかもしれない。昼休みの学生食堂にもいなかった。
月曜なので放課後はクラブ活動があるが、雨が降っているため花の手入れをする必要はない。
新田の怪我が思うよりひどかったら──
しばらく考え、二年生の教室が集まる箇所へ向かった。
新田のクラスには生徒が数人残っていた。黒板消しを掃除する電動クリーナーの音がとまり、教室の引き戸が開く。
眼鏡をかけた生徒が出てきて、服についたチョークの粉を払った。眼鏡の奥の目が春樹に気づく。
「何か用?」
「一年の丹羽です。新田先輩、いますか……?」
「新田? 休んだよ。転んで打撲だと聞いたけど」
「打撲……ひどいんですか? 入院したとか!」
「入院したらホームルームで言うでしょう。詳しく知りたいなら職員室へ行けば」
細かい粉を払いながら、眼鏡の生徒は教室に入っていった。
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