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第一話・焔 第四章・1


 白い社用車は雑居ビルの裏手から数分の駐車場にあった。日曜でも不定期に仕事があり、終業後にスナックに顔を出そうと駐車して、春樹が鳴らした防犯ブザーの音を耳にしたとのことだった。
 傘がなければ困る雨ではなかったが、須堂は春樹に傘を使わせた。運転席に乗り込んでエンジンをかける。
「で、どこだ? あのガキの家は」
 面倒だろうに、野太い声に怒気はない。スナックの女性は須堂と親しそうだった。警察沙汰を危惧した顔には、須堂への複雑な感情があった。何の関係もない人を煩わせるな。これは新田との問題だ。
 春樹は須堂に向き直り、頭を深く下げた。
「ごめんなさい。さっきは混乱してました。自分で確かめてタクシーで帰ります」
「そのツラ見てから言え。どっち行けばいいか教えろ。シートベルトしろよ」
 身を守るベルトを引っぱりながら、新田の家の最寄り駅名を伝えた。カーナビをセットした須堂が車を発進させる。
 サイドミラーの中に惨めな春樹がいた。目の下に濃いくまがある。よく眠れたし、塔崎との行為も体にダメージを与えるようなものではなかった。
 新田に置いていかれたと嘆く心が、そのまま顔に出ていた。
「ダチが逃げたのは正しい」
 口を開いて須堂を見た。新田をなじっていると言われたようで、膝上のバッグをつかむ。
「ビビってはいたと思う。それでいいんだ。ばかなケンカしてたらおれみたいになる。とにかくただ逃げたわけじゃない。お前が心配で戻ってきた。で、お前をかばってまた逃げた。わかるか?」
 うなずいたつもりが、うなだれていた。眉が八の字になるのがわかる。
 新田は金髪の暴漢に汚い手で触るなと立ち向かった。春樹を案じて警察官を連れてきた。
 同性との恋を知られる可能性があっても戻ってきてくれた。見捨てたのではなかった。
 春樹は何をした。新田に加勢するどころか、子どものように転んだ。うつろな心に言い訳を求めた。
 怪我を心配したのは偽りではないが、走れたのだから大怪我ではないと決めつけた。
 よくも身勝手な独断ができたものだ。混乱など理由にならない。胸のモヤが何だ。高岡の存在がどうしたというのだ。新田は怪我した体で走ったのだ。
(僕は……本気で修一を心配してるのか……?)
 車窓の景色が白黒にしか見えなかった。


 都心を抜けるのに少しかかったが、着実に新田のもとに運ばれていく。車で新田の自宅を目指したことはない。
 見慣れない町並みが春樹の来訪を拒んでいるようでならなかった。
「高岡には言うなって、何でだ? 鞭で引っ叩かれるからか?」
 かぶりを振った。それだけだ。何もしていない。
 須堂の視線が突き刺さった気がした。もう一度首を横に振りかけたとき、車が路肩に寄った。乱暴な停めかただった。
 シートベルトを外した須堂が、ドアポケットから携帯用のティッシュを出した。数枚抜いて渡してくる。
「なに……」
「何、じゃねえ。お前まさか、高岡のこと」
 とっさに逃げようとした。偶然視界に入ったルームミラーを見て動きがとまる。ティッシュがシートに落ちた。
 青白く見える頬に、縦に光るラインがあった。気づかないうちに泣いていたのだ。
「おい。あのばかに惚れたんじゃないだろうな」
「ち、ちが」
「じゃあ何で泣いてんだ。高岡の名前出したとたんに泣いたろ」
「いろっ、色々あったからです。高岡さんは僕を躾ける人です。怖いし、気まぐれだし、好きになるはずなんてない!」
 これ以上訊かれたら何を言うかわからない。シートベルトをつかんだ。無理に外そうとする手を押さえられる。
 須堂の手の甲に春樹の涙が落ちた。
「違う、違う……! あんな人……違う……!!」
 カーナビの電子音がしなくなった。去ったと思った黒いモヤが、胸の奥に染みを作る。


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