Cufflinks
第一話・焔 第四章・1
高岡はふたつ、春樹はひとつ、ロールキャベツを食べた。サンドイッチを食べようとしたら同じものを食べろと言われた。本当は空腹だったのか、高岡は割とおいしそうに食べた。
「ロールキャベツの肉、硬いですか?」
食べ終えた高岡が口もとをふく。温かい食事をしても鋭い目つきだった。
「いや。ちょうどいい」
「家政婦さんが作ったのは昨日です。あっためても硬くならないようにしてくれてたんです。昨日初めて気がつきました」
箸を置き、居住まいを正して続けた。
「引っ越すこと、稲見さんから聞いてるんですよね。僕に何かできることはないですか? 優秀な家政婦さんです。僕の引っ越し先が無理なら、似たような条件のところを紹介してもらえないですか?」
目の前の男は頬杖をつかなかった。腕組みをして下を向き、クッと笑った。
「やはり俺は朝が弱い。お前が少しは成長したように思ったが、とんだ判断ミスだった」
素早く椅子を引いた高岡は、問い返す間も与えず春樹の背後に回った。春樹が取り落とした箸も拾わず、春樹の頬、あごから首、肩、二の腕へと撫で下ろしていく。
意味不明の嘲笑と微妙に性的な接触で、かすかな電気を帯びた血が全身を巡った。
「男にしては細い線だ。自分でもわかるだろう」
ぎくしゃくとうなずく。首に引っかかりでもあるような動きだった。高岡の両手が春樹の二の腕をつかむ。縄で縛られたイメージが浮かび、目をつぶった。雨の刑場へ引かれていく罪人の幻影が重なる。
「お前は家政婦の望みを履き違えている」
二の腕の外側を叩かれ、反射的に目が開いた。高岡が食器棚から新しい箸を出す。
「持ってみろ。力を入れるな」
箸を持つ右手に高岡の手が添えられる。高岡に操られるままロールキャベツを切り分けた。箸が大きく交差することも、突き刺すこともなかった。どんどん速くなる鼓動に邪魔されて、どう持てばいいかは理解できなかったけれど。
「口を開けろ」
無防備な行為に思えた。少ししか口が開かない。焦れた高岡が「もっとだ」と言い、うなじがぞくりとした。
やっとの思いで開けた口にロールキャベツが入る。味も食感もどこかに飛んだ。夢中で噛み、飲み下す。高岡の指に唇の下をなぞられた。こぼした汁をぬぐい取った指を高岡が舐める。いつもこうしている、といった感じだった。
「家政婦はもっと食べろと言わないか」
「い、言います」
「食生活を中心に自分を律することが、今のお前が家政婦のためにできることだ」
馴れ親しんだ香りが離れた。高岡が床に落ちた箸を拾い、自分の食器と一緒にシンクへ運ぶ。
「二度と家政婦に会えないわけではない。進級や卒業の折に成長した姿を見せればいい」
食器を洗う水音がした。急いで食べて食器を高岡に渡す。支度の続きをするためにリビングから出ようとした。
「待て」
振り返ると、鈍く光るふたつの瞳があった。
「好条件の職場をという考えは悪くないが、まずは自分のことだ。人の事情に首を突っ込むのはそれからにしろ」
「首を……突っ込む……」
新田の真っ赤な顔が斬り込んできた。思い上がるなと叫んでいる。
呼吸もままならないまま脱衣所に駆け込んだ。洗面台の水を出して顔を洗う。
何か訊かれれば糸が切れる。新田にひどいことをして、竹下の力になれない自分を許してと言ってしまう。
「どうした」
高岡の声が春樹の顔を上げさせた。鏡の中で赤い目を見られ、慌ててタオルで顔を覆う。
「一分だけください。一分経ったらちゃんとします。一分だけ……!」
力ずくでタオルを引きはがされた。後頭部を支えられ、水と涙がつたう顔をタオルで拭かれた。やわらかな布地が触れるにつれ、呼吸が落ち着いていく。
頬がすっかり乾いたころに、タオルではないものが唇をかすめた。
人の唇だとわかったときには、高岡は脱衣所の入り口に立っていた。高岡の目を見た春樹が言葉をなくす。
右手を切った日、ダイニングの椅子に座る高岡は、春樹から逃れて身を引いた。あのときの目とそっくりだった。
決して誰も傷に触れさせようとしない、雪原に立つ狼の目だ。
「一分経ったぞ。支度をしろ」
「あ……はい」
支度できるか、と言わない性格を初めてありがたいと思った。
高岡が廊下で立ちどまった気がしたが、間もなくキッチンから洗い物の音が聞こえた。
次のページへ