Cufflinks

第一話・焔 第三章・4


「お前がそう思うなら受けてみればいい」
 火のついた煙草が地面に落とされる。靴で煙草を踏む高岡に苛立った様子はない。
 思わず高岡に向き直り、立ち上がりかけた高岡の袖を引いた。
「と、とめないんですか?」
「とめる理由があるなら言ってみろ」
 心配ではないのか、という言葉は声帯にも届かず、頭の中だけで響いた。
 高岡に払われる前に春樹の手がベンチに落ちる。立ち上がった高岡が言い放った。
「お前は毎回、この客と寝てもいいのかと訊くつもりか」
「だって、少しでもおかしいと感じたら誰かに相談しろって」
「それがだめだと言っている。俺がお前を罠にかけないという保証がどこにある」
 春樹から言葉が消えた。罰として鞭で打たれた日に、客からの打診に疑問を感じたら相談しろと言ったのは高岡だ。
「相談相手ひとつでも熟考しろ。俺は三浦兄弟の敵ではない。長男の犬を仕事で鞭打った。お前は勘違いしているようだが、仕事に私情は交えない。あの犬を奪ったのではない。結果として持ち主が佐伯様になっただけだ」
「敵じゃない……?」
「そうだ。長男とは仕事で接点があり、次男とは車で散歩した。どこかで俺と彼らが意気投合していたらどうする」
 ベンチの縁をつかむ指先が痛い。唇が開くが、震えそうだったので強く引き結んだ。
「俺のことも信じるなと言ったはずだ。わかったら来い」
 スニーカーの先から高岡の影が離れていく。
 初めて抱かれた日の翌朝、高岡は誰も信じるなと言った。銀座で塔崎に尾行されたときは社員を警戒しろと言った。
 社員を警戒しろと言う男が、勇次の打診を警戒しろとは言わない。
 三浦勇次は警戒すべき相手ではないと……言っている……?
 ボールが弾むようにベンチを後にした。走って高岡の横に並ぶ。高岡の歩く速度は、普段よりゆっくりしていた。
「ヒントをやろう。遊びも色々だ。三浦家の次男は騒ぐことを好む。街に立つ男娼とベッドを共にすることはないが、引き連れて飲み歩くのは好きな質だ」
 春樹を見ずに歩いていた高岡が、少しだけ柔和になった声で続けた。
「お前が知っている人物の中に、夜の街に立っていた者がいるはずだ。彼になら三浦兄弟の名を出しても構わん」
「街に立っていた……」
 壬のことだ。ウリをしていたと言っていた。どういう形態で売春行為をしていたのかは知らないが、間違いない。
 急いで携帯電話を出した。発信履歴に壬の店の番号があったと思う。履歴の新しいものから探していくが、途中で指をとめて顔を上げた。頬が熱くなる。
「ヒント、ありがとうございます」
「礼などいい。電話は車の中でかけろ」
「はい。でも、ありがとうございます」
 高岡が小さく吹き出した。「強情だな」と言って空を見る。
 紹介される客の情報を、誰が最も知っているのか。相談相手と客は何らかの利害関係にないか。
 隣を歩く男はお守り役ではない。高岡の前で大騒ぎして涙を拭われても、危険を回避できるわけではない。
 外国人に似たラインの横顔の向こうを、鮮やかな色の若葉が舞っていった。


次のページへ