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第一話・焔 第三章・4
「お前は彰のイロじゃないのか」
「イロ?」
しまったという仕草で医師が自分の後頭部を叩く。
「イイ仲、恋人、愛人ってところだ」
「あんな人と、そんな関係じゃありません!」
春樹は立ち上がり、全身で否定した。首には血管が浮き、顔は真っ赤に違いない。
医師は後頭部に手を置いたまま、すまん、と片手を顔の前で縦にした。
「坊やはあれか、商品か。商品で、やりたいほど好きな相手がいる、と」
座れというジェスチャーをされたため、鼻息も荒いまま椅子に腰を下ろす。と同時にうなずき、医師を見た。
「好きな人と……して、早く仕事したいんです。余計なこと考えたくないし、生きてかなきゃいけないから」
うなりながら医師が考え込む。あごの無精髭をさする指が太い。
「坊やはどうなりたいんだ」
意味がわからない。問い返しの言葉も出ない。男娼にどうなりたいもこうなりたいもないだろう。身の安全を確保して、客に気に入られるようにする。他に何ができるというのだ。
医師は春樹をじっと見た後、腕組みして椅子の背にもたれた。
「売春なんてものはバカのすることだ。のっぴきならん事情があるとしても、目標がないと堕ちるいっぽうだぞ」
喉の奥が熱くなった。ばかなのは百も承知だ。では、ばかな少年を食いものにする客は何なのだ。
膝の上で握った手が震え、声にも震えが伝わった。
「今の暮らしを維持したいだけです。僕が仕事を辞めると家政婦さんが路頭に迷うんです。長く働いてくれている優しい人です。私立高校に通ってるから退学も避けたい。好きな人が……同じ学校にいるから」
医師は目を丸くして、「は!」と言った。机に向かい、カルテの続きを書く。
「家政婦にずっと面倒みてもらうつもりか。家政婦には坊やの仕事を知らせてあるのか」
知らせる? 週末にホテルで男に抱かれていると、母代わりの竹下に?
「こんな仕事、言えるわけないじゃないですか! どうしてそんなこと」
「長くいるなら坊やのちっこいころも見とるだろう。坊やが体を売った金で自分も食っていると知ったら、家政婦が受けるショックは相当なものだと思うぞ」
竹下の生活を守るために売春をすることが、竹下を傷つけることになる。
そんなふうに考えたことはなかった。その場しのぎの嘘で仕事を隠してきたが、自分のためだったというのか。
ペンが机に置かれる。顔を上げた医師は、春樹の目を見て言葉を続けた。
「何より学校は勉強するところだ。好きな相手が他校に移れば転校するのか。若い恋はうつろいやすい。学校にいない相手を好きになったら? 中退するのか」
こちらを見る眼差しが深い。身を乗り出して話す医師の姿勢に、反論の言葉を探すことはできなかった。
「上客をつかめ」
「…………え?」
「金脈と人脈を築き上げろ。環境は悪くなさそうだから、今がチャンスだ。生活に追われると磨けるものも磨けなくなる。大人になってからの苦労はきついぞ」
医師が看護師にカルテを手渡す。血色の良い顔は、気さくな表情に戻っていた。
言葉が出てこなかった。新田との恋がうつろうはずないと思うのに、それすら口にできない。
ぎこちなく一礼し、バッグを持って立ち上がる。医師が快活に待てと言った。
「刺激の少ないローションを分けてやる。外用薬の袋に入れさせるから、黙ってもらっておけ。ああそれと。彰は真面目に傷を診せにきとるぞ。あれが忠告を聞くのは滅多にないから、てっきり坊やがイロかと思った。今日もついさっき来たな。その辺でアブラを売っとるかもしれん」
「……関係ありません。イロじゃないですから」
精一杯の反論は、肌寒さを吹き飛ばすような声で笑われてしまった。
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