Cufflinks

第一話・焔 第三章・4


 バッグに手を突っ込んだ。ブザーを出してストラップを兼ねるピンを抜く。
 耳をつんざく連続的な高音がして、軍靴男を除く全員の動きが停止した。試用しなかったため、こんなに大きな音とは知らなかった。春樹も立ち上がることができない。
 軍靴男が音もなく近づき防犯ブザーをもぎとる。底厚で重そうな靴が小型の防犯用品を踏み砕いた。
 近くにある飲食店の扉が開いた。場所が場所だけに通行人も避けていた事態を、細く開けた戸の内側から見ている。
「見せもんじゃねえぞォ! コラァ!!」
 金髪男は開いた扉に向かってナイフを振り回した。扉が閉まると標的を新田に戻す。
 防犯ブザーを壊した軍靴男が舌打ちした、そのとき。
 新田が後ろに数歩下がった。両手を前に突き出し、腰を落とし、じりじり離れていく。
 凶器を持つ金髪男と春樹とを交互に見ながら、遠ざかっていく。

(修一…………?)

 新田は背中を見せ、一度も振り返らずに走っていった。
「なんだありゃ! とんだタマなしだ」
 金髪男は笑い、新田の財布を拾った。マジックテープを乱暴にはがす。
「お、二万も持ってやがる。延長する気満々だったのかねえ」
 春樹はぼんやりと金髪男の視線を追った。蛍光灯が照らすホテルの料金表がある。休憩は幾らなどと書かれているが、理解する気力がない。財布から現金を抜く金髪男も、新田が消えた四つ角を眺める軍靴の男も、どうでもよくなってしまった。

 新田が春樹を置いて逃げた。

 無理はない。新田の顔は腫れかけていた。足もふらふらだった。刃物を見れば誰だって怖くなる。新田が刺されずにすんでよかったのだ。春樹はどうとでもなる。いざとなれば百万円をくれてやればいい。
 横座りでバッグをたぐり寄せる。軍靴が先ほどより鋭い音をたてた。
 軍靴を履いた男は何かに対して身構え、半身の姿勢になっていた。春樹も軍靴が示す先を見る。
 見たことのある人影があった。高岡よりひと回りは大きな男がのんびり歩いてくる。
「ボーヤじゃねえか。こんなとこで何してんだ」
「──須堂……さん」
 身構えていた軍靴男ではなく、金髪男が飛び上がった。須堂に走り寄って上体を深く折る。
「アニッ、あ、あに、兄貴!」
 金髪男の声は裏返っていた。須堂が煙草を取り出す。ライターを近づける金髪男の手を、須堂が払った。
「おれはひとりっ子だ。煙草の火もてめえでつける」
「すっ! すいやせんッ!」
 須堂が煙の向こうからこちらを見る。軍靴男は顔色ひとつ変えずに会釈しただけだった。
「お前、見たことあるな。磯貝んとこの。なんつった」
「井ノ上です」
「ふん。お前ら、あっちの趣味あんのか? 楽しい遊びには見えねえが」
 イノウエと名乗った軍靴男が春樹を見下ろす。
「男色は好みません」
 須堂が吸ったばかりの煙草を落とす。軽く踏む仕草が高岡に似ていた。
「ナンショク、ね。時代劇かよ。ボーヤに用がないなら、わかるよな」
 井ノ上が下がって一礼する。金髪男も深々と頭を下げて、ポケットにねじ込んだ新田の二万円を出した。震える手で須堂に渡すと、そそくさと去っていった。
 この状況に笑いたくなった。
 場所はホテル街。バッグには札束があるが心はうつろ。笑う以外に何ができると思うが、口もとの皮膚は動かない。
 老木にできたうろだった。頭も心も。真っ暗で乾いて何もない。
 須堂がしゃがんだ。目線を春樹に合わせてくる。
 今は須堂の目を見たくない。須堂の瞳は褐色だ。新田の瞳に似た色をしている。
「ケガはないみてえだな。ガキがひとり走ってったけど、ダチか?」
 目をつぶって須堂のジャケットにしがみつく。こうすれば優しい瞳を見なくてすむ。
「大丈夫か? 高岡に電話し」
「高岡さんには言わないで!」
 須堂に押し戻されそうになった。春樹は須堂の胸に飛び込むようにぶつかる。太い二の腕を思いきりつかんだ。
「修一が家に帰れたかわかるまで、そばにいてください。お願い……!」
 新田が心配なのは嘘ではない。だが、これは高岡の存在を追い払おうとして出た言葉だ。
 頭の奥が嘲笑の準備を始める。黒いモヤに胸が押しつぶされそうだ。
 春樹の手がずり落ちた。笑うしかないと思ったのに、襲ってきたのは混乱だった。
 両手で顔を覆う。指の間からこぼれる涙を、須堂の義指を有した手がぬぐった。


<  第四章・1へ続く  >


【 あとがき 】
読んでいただき、ありがとうございました!
続きは第4章・1のupまでお待ち下さい。
いつになったら新田と春樹は合体できるのでしょう。
合体より関係の修復が先だろうって感じですが。
これから少しドタバタするかもです。


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