Cufflinks
第一話・焔 第三章・4
「はっ……あ、もう……も、う……!」
リビングに次いで広いベッドルームに、春樹の声がさ迷っていた。
ふたりともバスローブを着たままだ。前だけをはだけている。脱衣所から出るなり、待ちかまえていた塔崎に手を引かれた。ベッドルームにも小型の冷蔵庫があったことが幸いした。そうでなければ水も用意できなかった。
塔崎が持参したローションはかすかに香料を含むごく普通のものだったが、たっぷり使うためか指でほぐす段階では痛くない。沁みることもなかった。コンドームを被せた指を引き抜くたびにローションを足していく。
「お願いもう、もっ……だめ……!」
湿った音がした。このローションは粘り気が少ない。多量の水分がたてる音が春樹の羞恥心を刺激し、塔崎を性急な行動に移させた。
「はあ、入れ、入れたい。このままでいい?」
一抹の不安があり塔崎の下半身を盗み見た。焦ってはいるがコンドームをつけている。もう一度穴をほぐし、自身の中心にもローションを垂らした。
四つ這いになろうとベッドに肘をついたら、塔崎の手が春樹の膝裏をすくった。脚を折り曲げさせられる。膝頭の向こうにある塔崎の顔が上気していた。
「この姿勢でしたこと、あまりないんだ。痛かったら、言ってね」
「と……ざき、さ……! うっ、うう!」
今日の塔崎は体重をかけて割り進んできた。入り方もそうだが、硬さも前のときとは違う。誕生祝いの席で塔崎は五十を過ぎたと言った。今、春樹の中にある塔崎のものは、暴れているという表現が的確だ。生きる力が内側から歓喜の声をあげているようだった。
「いっ、すご……い……!」
根元まで含まされる。抜き差しされていないのに、絞り上げられる感覚が体の深いところを通っていく。焔の赤い舌はつま先にも届いていない。サイドボードに置いた水も欲しくなかった。この快楽は焔によるものではなさそうだ。
痛みはある。非常に興奮している男の男根だ。それなりの質量はあるし、何より硬い。急きたてられるように入ってきたため、弱いところを攻めることもなかった。
塔崎が春樹の肩と腰を持つ。春樹よりも熱い手だった。
「う、動いたらいきそうだ。ああ、いい、いいよ……」
これも前と違う。前はいくという言葉は使わなかった。時おり可愛いと言う程度で、上品なセックスだったのだ。
向かい合う体位に不慣れなためか、塔崎は手の位置を頻繁にずらす。腰を支えるものが欲しいが、強い快感のために背中が何度も反って枕をつかめない。高い声が漏れそうでシーツに爪を立てた。
「と、塔崎様。ん、う……ッ」
支えがないなら自分で何とかするしかない。片手を塔崎の肩にかけ、もう一方の手をベッドにつく。腰を浮かせて両脚を塔崎の腰に巻きつけてみた。
「っ! ああいい、きつい、いいよ」
膝と腿の内側で塔崎の腰を締めつける。体を安定させるためにしたことが、塔崎を急激に追い上げたようだった。
いいよ、とうわ言のように言いながら塔崎が腰を動かす。脚で可動域を制限されているからか、荒々しさはなかった。穴の痛みもやわらぎ、塔崎の硬さに馴染んでいく。
焔は顔も覗かせていない。喉も焼けないし自我を見失いそうでもない。ただ気持ちいいという射精感が増した。
「あ……も、いく……! だめ……いく、い……くっ!」
「く、は……ああ、あ」
耳のそばでした塔崎の声は甘かった。こちらが赤面しそうな、くすぐられる響きがある。
すべて出しきるまで、互いに体を震わせた。不規則な振動がたまに一致する。初めて塔崎を雄だと感じた。
「……よかったよ。こんなにいいのは久しぶりだ。痛くなかったかい」
髪をすかれる。あれほど触れられたくなかったのに嫌だと思わない。春樹は目を閉じ、吐息と共に答えた。
「痛いなんて……たとえ痛くても、今のようにしていただけるなら平気です」
喪失感のない気だるさがある。自分が放った飛沫を拭こうとしたら塔崎に肩をつかまれた。バスローブをめくられる。背中の一部があらわになった。
「休みの理由は、この傷なのか」
三浦がつけた傷を見ている。痛みがないので忘れていた。傷に塔崎の指が触れる。無意識に逃れようとしてしまい、ひたいの汗が冷たくなった。
「可哀相に。誰がこんな……ひどいことをする客が?」
指先が傷を撫で終わるのを待ってから身を起こした。塔崎に背を向けてバスローブを上げ、紐も結んだ。
「ひどいことをなさる方はいません。見苦しいものをお見せしたことをお許しください」
シーツを見て淡々と話す。言い訳はしないほうがいいと思った。塔崎がベッドから下りるのを待つが、ベッドはきしみもしない。振り向くより、背後からきつく抱きしめられたのが先だった。
「ああ、きみとの出会いが違う形だったら……! 悪い客がいるなら言いなさい。僕がとりなしてあげる」
腹の奥が冷たくなった。体液が氷水になったようだ。
「もう傷は痛くないから、どうか……塔崎様を煩わせるのはつらいです」
春樹の後頭部に頬が寄せられる。「ごめんね」と聞こえて春樹は目を見開いた。
「ごめんね。言えないこともあるだろうに。許してね、僕の可愛い人」
腕がざっと粟立った。袖に隠して見られないようにする。さらに強く抱きすくめられ、かすれた塔崎の声がした。
「怪我をおして体を開いてはだめだよ。僕を煩わせるのがつらいと言うなら、わかってくれるよね」
頭に当たる塔崎の頬が熱い。髪があっても直に伝わってくる熱さだ。
「きみの力になれるなら何でもする。何でもするよ。だからまた、会ってくれるかな」
「……はい」
男娼として当然の返事をした。
どんな渦を後日に残すことになるのか、考えようともしなかった。
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