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第一話・焔 第三章・3


 テレビのリモコンをソファに置いた。もう正午近い。
 平日の午前中に好きな番組はやっていない。テレビのチャンネルを数分おきに替えている。
 新田が言ったとおり、今日は昨日より涼しい。朝から晴れてはいるが、風がやむときがない。
 無性に寂しく、テレビの前から離れられないでいた。やまない風と同じで不安が消えない。
 病院へ行こうと、いつか言われるとは思っていた。新田に言わせたという事実が情けない。クッションを抱きしめる。
 高岡の存在が元凶で息が苦しくなったのに、助けを求めて呼ぼうとした名は高岡だった。
 どうしたらいいのかわからない。どこかおかしくなっているのだろうか。
 心の問題を扱う病院にかかるのは嫌だが、新田を安心させるためだ。わがままを言っている場合ではないとは思うものの、積極的に受診する気にはなれない。
 決めかねているうちに正午を回ってしまった。あまり食欲はないが、食べないと体に悪い。
 キッチンに向かおうとしたとき、ソファについた手が偶然リモコンに触れた。番組が替わる。健康や医療に関係する番組のようだ。切ろうとしたが、出演者が言っていることが春樹の指をとめた。
 しばらくその番組に見入り、コンロにある煮込みハンバーグの鍋に視線を移した。


 春樹を乗せたタクシーは『高岡』の表札がある家の前でとまった。
 料金を再度言われて、慌てて運転手に向き直った。
「こっ、ここですか?」
「はあ。地図ではそうなってますね」
 料金を払って車外に出る。タクシーが見えなくなるまで待ってから、高岡邸を見た。
 立派な和風邸宅だ。分厚い木の表札に、高岡の二文字が黒々と書かれている。門の左右に伸びる塀が長い。
 この辺りには、似た規模の家が多くあった。どれも邸宅、屋敷と呼ぶのがふさわしい家ばかりだ。
 抱えていた紙袋を提げる。完全に気後れした。学校の校門くらいの幅がある木製の門扉に触っていいものだろうか。門に鍵がかかっていたら? 渡された鍵で開くのだろうか。急に警備員が来たりしないか。
「やっぱり……帰ろ」
 車内ではずっと外を見ていたので、道順は覚えている。最寄り駅の方向も大体はわかる。
 紙袋の中を見て、とぼとぼと歩き出した。人影が見えたので何とはなしに立ちどまった。塀の一部が戸になっている。大人は背を丸めないとくぐれないほどの、小さな引き戸だ。
 引き戸から出てきた人は小柄な老女だった。春樹を見て会釈する。つられて春樹も頭を下げる。
 そのまま通りすぎようとしたとき、成瀬の言葉を思い出した。

 『管理してる鵜飼さんって老夫婦が近くに住んでまして』

 小さな戸を施錠しようとする老婦人に声をかけてみた。
「あの。鵜飼さん、ですか」
「さようでございますが」
 鵜飼夫人の顔には、警戒と好奇の色が入り混じっていた。
「丹羽といいます。高岡さん……高岡彰さんに、ここに来るように言われました」


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