Cufflinks
第一話・焔 第三章・3
「ハンバーグ、僕にも焼けるかな」
スーパーマーケットでカートを押しながら、カゴに入れられたひき肉を見た。
「煮込みハンバーグにしましょう。焼きあがってから煮ておきますので、ご学友がいらしたら火にかけてください」
食材を選ぶ竹下の声は張りがあった。目の下のくまもない。春樹はカートを生活用品売り場へ誘導しながら言った。
「包丁、一本だめにしたんだ。料理しようとして、手が滑っちゃって。落ちて刃が欠けたから捨てちゃった。ごめんね」
「そんな危ないこと。お怪我は?」
「しなかったよ。大丈夫。どれがいいかわからないから、竹下さん選んで」
自分と高岡に向けた包丁は成瀬が処分した。竹下が愛用していたもので、一番取り出しやすい場所にあったので凶器に選んだのだ。
商品棚にずらりと並ぶ刃物の群から目を逸らせた。あの夜、床に広がる高岡の血の上に、包丁を振り落とした。赤色に映えた鋭利な光は、身をすくませるほど怖かった。
「春樹ちゃん。顔色が良くないようですが……お勉強で根をつめたのですか」
背中に竹下の手が触れそうになり、半身になった。作った笑顔が引きつりそうだ。
「根をつめるってほどじゃないよ。昨夜、友達とふざけてたんだ。僕の部屋で。テスト終わったから遅くまで。枕投げの真似してクッション投げてたら破けちゃって。中まで破れたから捨てた……ごめんなさい! 今夜来るのは先輩で、ふざけたりしないから安心して」
「もう高校生ですからね。そういうこともあるでしょう」
にこやかな竹下と共にレジを通り、スーパーの出入り口近くにある生花コーナーで少量の花を買った。
疑似親子だ。本当の親子なら、子が十六歳にもなれば買い物を共にすること自体減るだろう。
竹下とは、たまに買い物をした。これは食べられないとかスナック菓子が欲しいとか、些細なわがままを言って竹下の顔を見るのは、幸せな時間のひとつだった。
誰も傷付けてはならない。春樹の身ひとつで生活と安心を保証できるなら、何だってする。勇次の小便も飲むし、塔崎に手も握らせる。
頬を撫でる風が生ぬるい。竹下が持つスーパーの袋を一緒に持った。少し揺すってみる。
「卵があるからだめですよ」
困ったような、それでいて嬉しいような、いつもの竹下の声を聞きながら歩いた。
水気の切れた食器を拭いていると、玄関の呼び鈴が鳴った。
「竹下さん……?」
家事仕事を終えてから共に昼食を食べた竹下が帰ってから、まだ一時間も経っていない。新田からはメールで今夜七時ごろに着くと連絡があった。
インターフォン越しに、聞いたことのある声がした。
「あ、成瀬っす。彰さんから、渡すように言われてるもんがあるんですけど」
オレンジジュースをごくごくと飲んだ成瀬は、頭を下げてから春樹を見た。
「昨夜っつーか明け方近くですけど、彰さんがウチに来まして。できるだけ早い時間にお持ちするつもりだったんすけど、急な仕事が入りまして……すんません」
「いえ……あの、何ですか」
春樹の前に、家の玄関用と思われる鍵と、一枚のメモ用紙が置かれた。
「そこに書かれてる家の合鍵っす。管理してる鵜飼(うかい)さんって老夫婦が近くに住んでまして、風入れたり、掃除に来るそうっす。出入りするのは鵜飼さんと庭師さんくらいだから、顔合わせたら適当に挨拶しとけ、だそうです」
メモを見てみる。都内の高級住宅地の住所と、略した地図が書かれてあった。
「彰さん、そこに寝泊りすることがあるんですよ。気が向いたら行ってみるように、って。できるだけ早いうちに」
「早いうち?」
「そうっす」
成瀬は先日と同じ、紺のつなぎを着ている。つなぎと同色のキャップを被りながら立ち上がった。
「行けと言われても、行く理由がありません。その家に何かあるんですか?」
「さあ。彰さんがそこに鵜飼さんや庭師さん以外の人を入れるのは、これが初めてなんで」
「で、でも。困ります」
玄関で靴を履く成瀬が、被ったキャップのつばを後ろにした。
「鍵を換えるときに中見せてもらいましたけど、緑が多くて花も咲いてて、きれいなとこっすよ。メモ見せれば都内を転がしてるタクシーならわかるでしょうから、一度行ってみるといいと思います」
見知らぬ合鍵を握る春樹の前で、玄関ドアが静かに閉まった。
次のページへ