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第一話・焔 第三章・3


「来い。ここに呼んだ理由を話す」
 高岡に手を引かれて窓の外にある踏石に下りた。サンルームから見たシバザクラの前で高岡が足をとめる。
「仔犬の思考、趣味、好き嫌い、口癖、交友関係。得られるデータは多いほど良い。お前はシバザクラを自分で初めて植えた花だと言った。特別な関心がある花だと判断した。仔犬が興味を持つものには極力触れるようにしている。知識だけではない、生きた感覚がわかれば仔犬との距離が縮まり、仕事がしやすくなる」
 春樹は高岡と手をつないだまま、シバザクラの前でしゃがんだ。今夜は雲がない。半月より少し膨らんだ月の光が、白い花を淡く浮かび上がらせていた。
 夜も咲くとは知らず、無意識に高岡の手を下に引いていた。高岡が春樹の横にしゃがんで言葉を続ける。
「シバザクラの花言葉である臆病な心は、つまり警戒心だ。お前には何より必要なものだ。花言葉を利用したほうが伝わると考えた。腰を据えて話すには人の出入りが少ないここが適していると思い、花期が終わる前に花を見せようと、できるだけ早くと成瀬に伝えた。首に縄を付けて引っ張ってきたのではお前も反発する。合鍵を渡して好きなときに来られるようにしたのは、そのためだ」
 途切れることなく続く言葉は、高岡らしいものだった。人を扱う仕事をする男のポリシーが夜の庭園に響く。
「……燃える恋」
 触れている高岡の手が、ぴくりと動いた。春樹は月光を浴びる小さな花の群れを見つめる。
「シバザクラの、花言葉のひとつです。修一から教えてもらいました。僕が死んでいたら、修一はシバザクラをどんな顔で見るんだろうって考えました。何も想像できませんでした。言葉では表せない顔なんだと思います」
 シバザクラがほのかに輝く。花の輪郭が曖昧で、闇に溶けていた。
 純白の絹が黒を背景に灯りを反射すると、やわらかく光るのをテレビで見たことがある。
 絹に似たしたたかで妖しい光は、シバザクラの別の強さを教えてくれた。
「僕が生きていないと修一が苦しみます。シバザクラが夜も咲く花だって、知りませんでした。小さくても手をつないで月光を反射して、夜の間も敵が来ないように警戒してる。僕もシバザクラに負けないようにします」
 高岡の手が離れたので立ち上がったら、腕をつかまれた。高岡はまだシバザクラを見ている。
 暗闇で光る目がかすかに動き、唇が開いた。
「ハンバーグはうまかった」
「え?」
 背の高い凶暴な男がすっくと立った。月を背にして立つので、眼光が一層鋭く見える。
「目を閉じろ」
 意思とは無関係にまぶたが下りる。唇には何も触れず、口の横、頬に近いところに舌のようなものが這った。
「決意を表明するのは結構だが、ソースが付いた顔での表明は迫力に欠けるな」
「か! 顔、に……!」
 またしてもか。どうして食事を終えた時点で注意しないのだ。舐め取る必要もない。人間らしく拭けばいいものを。
 片方の眉を上げる、高岡特有の笑顔を月が照らした。
「嘘だ。何も付いていない。騙されないよう、警戒心を忘れるな」
 両手をジーンズのポケットに入れて歩く高岡の背を、拳を震わせて睨みつける。高岡が振り向かずに言った。
「何もしないから泊まっていけ」
「だっ、騙されませんよ」
「こんなことで騙しはしない。今夜は少し冷える。早く家に入れ」
 高岡が踏石に上がる。春樹は月を見てみた。今夜の月を、新田の隣家に住む猫も見ているだろうか。

 『お前のオオカミが来るよ』

 雪原を駆ける美しい狼は、誰のものでもない。春樹のオオカミなどいない。
 日本庭園も邸宅も春樹にはそぐわないが、高岡ほど春樹に合わないものはない。
 誰かにそう言ってほしくて、気の短い男に拳骨をくらうまで庭に立っていた。


<  第三章・4へ続く  >


【 あとがき 】
読んでいただき、ありがとうございました!
続きは第3章・4のupまでお待ち下さい。
今回は何度もup予定日を変更して申し訳ありませんでした。
楽観視しておりましたが、12月ということもあり、予定が大きくズレました。
何度もおいで下さった方々、ごめんなさい。
春樹は次回から、少しずつ仕事復帰の予感です。


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