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第一話・焔 第三章・3
「不思議だな。母も同じことを言った。生産的な話題に移ろう。新田とはあれからどうした」
「修一とは昨日、僕の部屋で食事しました。修一が帰ってから……不安になりました」
「何故不安になった。喧嘩でもしたか」
心の弱さを知られたと明かすのが怖い。三浦の鞭の痕を見られただけで大失敗なのだ。しっかりしろと叱責されるに決まっている。甘えていいと新田は言うが、今でも甘えすぎているのだ。
病院に行くのは新田のためだ。受診すれば高岡にも筒抜けになる。それなら今のうちに言ったほうがいいのかもしれない。高岡の影がちらついて黒いモヤが発生し、うっかり高岡に助けを求めようとしたと言わなければいいのだ。
「……こんがらがったんです」
高岡が食事を中断し、頬杖をついた。眉をわずかに寄せてこちらを見る。
「修一は僕を好きだと言ってくれます。僕も同じ気持ちなのに苦しくなって……昨夜、息をするのが難しくなったんです。胸がつぶれそうに痛かった。心配した修一が、僕の家庭環境に原因があるんじゃないかと思ったみたいで、その」
「メンタルケアをと言ってきたか」
下を向いてうなずいた。高岡の人差し指がカウンターを叩く。
「体調が悪くなければ残さず食べろ。怪我をしているのはお前も同じだ。動物性タンパク質が傷に良いからと持ってきたのだろう」
「はい……」
フォークを取り、食べ進めた。多少音がしても気にせずに食べた。竹下が愛情を込めて作ってくれた手料理だ。高岡と並んで食べるはめになるとは思わなかったが、食べ慣れた味は落ち着かない邸宅でも安心させてくれる。
どうせ叱られるのだ。楽しみは味わっておくことにした。
「新田の考えは悪くない。ストレスで心療内科を受診する子どももいる。稲見さんに申し出ればいい」
叱責されると思っていたので面食らったが、高岡の表情は険しくなかった。きれいに食べ終えた皿を重ねて立ち上がり、キッチンに入る。
「でも、何かあったんじゃないかって思われます。稲見さんは高岡さんの怪我のことも疑ってるのに」
「稲見さんには慣れない料理でと言ってある。余計な詮索をされることはない。万一訊かれても俺の不注意だと言えばいいだけだ。わかったか」
「……わかりました」
カウンター越しに自分の食器を手渡す。鋭い視線をまともにくらい、喉がごくりと鳴った。
「自立が可能だと思えるまでお前を構う。俺に干渉されるのが嫌なら、一日でも早く生きる道をつかめ」
雪の荒野が再現された。夢でみた立派な毛並みの狼は、仔狼に生きろと伝えた。その行動で。
高岡は────高岡も右手を切った。人前で鞭を振るう仕事もあるのに、深く切った。
生きろと伝えた。自分の血を流して。
「高岡さん」
返事がない。皿を洗う水音で聞こえないのかと思い、大きな声で一気に話した。
「高岡さんも、雑居ビルのお医者さんにかかってください。傷を診せにくるようにって言ってました。それと」
いざ言うとなると膝が震える。震えが声に伝わらないよう、体じゅうに力を入れて続けた。
「僕は仕事を続けます。家政婦さんを追い出したくない。退学もしたくありません」
キッチンの水がとまり、高岡が顔を上げた。
「信用を重んじる世界だ。お前の辞意は伝えていないが、嫌になったから辞めると言えば問答無用で御払い箱になる。支度金という名の口止め料が出るだけだ。それでもいいのか」
「いいです」
「男娼の世界で身を立てるには、用心と血反吐を吐くような努力が要る。お前には足りないという自覚はあるか」
「あります。高岡さんが教えてくれました」
はっきりとした溜め息が聞こえた。キッチンから出てきた高岡が、ソファの後ろの大きな窓を開けた。
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