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第一話・焔 第三章・3



  お前のオオカミが来るよ。お前は誰と生きていくか、わかっているはず。

「…………笙子さん!!」
 飛び起きた春樹の目が、暗くなった空を認めた。目の奥が痛い。激しく泣いたときのような頭痛もする。
 肩と胸が呼吸によって動き、冷たい汗が全身を濡らしていた。
「な、何時……?」
「六時半だ」
 声がするほうを見た。長身の男が寝室の扉を開けていた。このテリトリーの主、高岡だ。
「笙子の名を呼んだようだが」
 寝室の灯りをつけた高岡が、春樹の顔を見て眉をひそめる。
「じっとしていろ」
 高岡が出したハンカチは、壬の中庭で見たものと似ていた。
 白くて滑らかな布地が含む香りも、どんなふうに拭くのかも、すべて覚えている。
 覚えていたとおりに拭かれたとき、春樹は自分が泣いていたのだと気付いた。
 髪の生え際を掻き分けられる。ひたいや首すじの汗を拭かれた。
「答えろ。笙子がどうかしたか」
「……夢です。支離滅裂な、ただの夢です」
 説明のしようがない。引き倒された狼におののき、悪童と戯れる笙子の声を聞いたなどと。
「シバザクラを見たか」
 高岡がクローゼットを開ける。タオルを出してベッドに腰掛け、春樹のシャツを開けていく。
 性的な開け方ではないが、春樹の顔は火照った。抵抗もせずに汗を拭かれるにまかせた。
「お前には見せておいたほうがいいと思い、成瀬に鍵を渡した。体調が悪いのに何故来た」
「体は別に……変な夢だったから汗かいただけです」
 タオルを渡された。あとは自分で拭けということだろう。高岡は小さく溜め息をつき、窓辺に立つ。サンルームの向こうに咲いているシバザクラを見ているようだった。
「鵜飼さんから電話があった。土産を持ってきたそうだな。何だ」
「大したものじゃないです。冷蔵庫にあるから、あっためて食べてください」
「食べる?」
 質問には答えなかった。高岡が何時に戻ったのか知らないが、もう用は済んだ。タオルを雑に動かして体を拭く。この家は広いだけで何もない。庭は手入れされてツツジもシバザクラも盛りだが、居心地は良くない。
「タオルとハンカチ、洗ってお返ししま」
 後ろ手でカーテンを閉めた高岡が、掛け布団をめくってベッドに上がった。身構える前にまたがられてしまう。
 この手の行為に慣れているだけあり、呆れるくらいに素早かった。


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