Cufflinks
第一話・焔 第三章・2
和室に追いやっていた花瓶を、すべて元にあった場所に戻した。
塔崎から贈られた花は大部分が枯れていたが、新田からもらった花は半分ほど生きていた。
ダイニングテーブルに広げた新聞紙に、花瓶から抜き取った花が広げられている。
『またこんなことされたら、必ず相談しろ。怪我を隠すのはだめだ』
玄関で、新田は頬を赤くして言った。新田に見つめられた春樹は、うなずき慣れた首を縦に振るだけだった。
くたりとした塔崎の花も、張りを残す新田の花も、『水をかえてくれるの?』とは言わなかった。しんとしたまま新聞紙に包まれていく。ゴミ袋に入れるときも、何も語りかけてはこなかった。
ゴミ袋を縛ったとき、鍵を開ける音がした。
何事もなかったように高岡が入ってくる。春樹を見ようともせず、脱いだ靴を揃えた。
あれから三十分程度しか経っていないのにどういう神経だ。それより、何をしにきた。
咄嗟の判断で寝室に逃げ込もうとした。中から鍵をかけて籠城しようと考えた頭が、がくんと後ろに振られる。狂犬の左手が春樹の襟首をつかんでいた。
「昼食は」
高岡独特の言い方だ。問い返そうものなら、ライターの火で炙られるかもしれない。
「まっ、まだです」
「では先に食べろ。コンビニの弁当だが文句を言うな」
籠城することしか考えなかったので気付かなかったが、いい匂いがする。
首を思いきり後ろに向ける。高岡の右手に、近所のコンビニの袋が提げられていた。
シャケ弁当を食べ終えた春樹の向かい側で、高岡が何やら書いている。
縦書きの便箋にペンを走らせながら、小さな紙片を開いた。旅行券が入っていた封筒から高岡が抜き取ったものだ。塔崎からのメッセージカードだと高岡は言った。封筒と同じ装飾の、アイボリーのカードを春樹も先ほど見た。
先日の誕生祝いには感動した、ありがとう、という趣旨の短い文章が、小さな文字で書かれてあった。
「塔崎様から贈られた花はどうした」
茶を飲んでいたときに急に訊かれて、咳き込みそうになった。胸を叩いて答える。
「すて、捨てました。枯れたから……」
「花を贈られたときの感想を言え」
「……困ったなっていうのじゃ……だめですよね」
鋭く光る目に睨まれる。春樹は口先だけで謝罪した。高岡が指で便箋を叩く。
「礼状に必要な感想を言え、と言っている」
塔崎に宛てるものだという気はしたが、礼状だとは思わなかった。高岡の手もとを覗いてみる。
時候の挨拶の次に塔崎への機嫌伺い、旅行券を贈られたことに対する礼が続いていた。
高岡が頬杖をついてこちらを見る。
「花をいただいたときに思ったことを言ってみろ。まとまっていなくても構わん」
「えっと……今まで見たことない大きな花束で、抱えるのが大変でした。こま……家政婦さんに何て言おうと思ったけど、オレンジ色の花は気持ちを軽くさせてくれました。花の明るい色が、自分の顔も明るくしてくれるかな、って」
制服姿で接待した夜、塔崎のべとべとした言葉に悩まされた。一瞬も晴れることがなかった心に、オレンジの花たちはわずかな明るさを与えてくれた。
ペンが走る音がする。春樹の言葉から抜粋したものを使い、手紙文として成り立つように書いているようだ。
「キーケースをいただいたときの感想を」
銀座の喫茶店での、嫌な記憶がよみがえる。春樹は膝に手を置き、下を向いてぼそぼそと答えた。
「びっくりしたのと……新品なのに手の中でごろごろしなくて、しっくりする感触が上品だと思いました。とにかく不相応な品で……あの、あんまり嬉しくなかったです」
礼状に不必要な言葉を抑えることができなかった。
高岡はペンの尻を唇に当てて何か考えているが、怒ってはいないようだ。数秒後、ペンが滑らかに動き出す。
学校からの帰り道、タクシーに乗った塔崎に呼びとめられた。連れていかれた喫茶店で贈られたものは、ブランド物の、小銭入れ兼用のキーケースだった。三万円弱の品物を、塔崎は『気に入らなければ売っていい』と言った。
控えめな光沢のある、黒くて小さなキーケースは今も学習机の引き出しにある。一度も使っていない。
使う気になれないプレゼントを思うにつれて、あの日の怒りが再現される。
考える前に春樹の口から飛び出した言葉で、塔崎は大きく勘違いしたのだ。
次のページへ