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第一話・焔 第三章・2


「治療が必要な傷をつけるなんて、人の道に外れることだ。可哀相だと思わないんですか」
「思うよ」
 二本目の煙草に火をつけながら、高岡が微笑む。目を細めて新田を見る顔は端整ではあるが、ぞくりとする冷たさが滲み出ていた。
「灰皿代わりの皿を用意するのにもまごつき、煙草の火が手につきそうになってもぼんやりしている。きみと違い、実にお粗末なオツムだ。嘆かわしいことに」
 眉を上げて煙草を掲げる高岡を見て、春樹と新田に緊張が走った。春樹が新田のシャツをつかむ。新田の背中に力が入るのがわかった。
 高岡は左手で煙草を持ったまま、歯で右手の包帯を解いた。傷を守る布を取り去ると、一度煙草を吸った。灰を落とし、横を向いて煙を吐き出す。
 そして、火がついたままの煙草を右手で握りしめた。
「高岡さんっ!」
 リビングの空気を裂いたのは、春樹の大声だけだった。新田の口からは呼吸音もしない。
 高岡はというと、わずかに片目の下の皮膚が動いただけだ。唇の端を上げて新田を見る。
「春樹の未来を、強制のない優しさだけで明るいものにできると思うか?」
 高岡が右手を開く。小皿に落ちた吸殻はねじ曲がり、血がついていた。
「そのチビちゃんは文字どおり鞭打たないと何もしない。十六歳とは思えないほど幼い、自分の考えを持たない子だ。生活態度や学業くらいは恥ずかしくないものにしておかないと、後々苦労するのは目に見えている」
 数秒間、沈黙が三人に蓋をした。口を開いたのは新田だった。
「あなたは……間違っています」
 高岡は一旦離した目を新田を向けた。春樹が斜め後ろから覗いた新田の瞳は、高岡とは違う輝きに満ちていた。
「自分を律することは大事だと思います。でも、これはだめだ。僕も父に殴られたことはありますが、殴るときは正面から僕を見てです。痕もつきません。後ろから鞭で打っても、残るのは傷だけです。あなたの愛情を春樹はどうやって理解するんですか? 春樹のためにと鞭で叩くあなたを、春樹は怖がらずに見ることができるんですか?」
 苛立った高岡が新田を殴ったりしないかと思ったが、高岡は目を伏せて微笑んだだけだった。自分の膝の上に手をついて立ち、外した包帯を拾う。
「できないだろうね。とりあえず今回のテストでの努力は認める。春樹の父君からお預かりしたものを渡すために来た。テスト休みがあるのだろう。ふたりで羽を伸ばしてきなさい」
 スーツの内ポケットから封筒を出した高岡は、封筒の中から何かを取り出した。小さな紙片のようだが、手で隠すように持ったので確認できなかった。
 横に長い、装飾された封筒がローテーブルに置かれる。春樹も新田も、玄関に向かう高岡の後ろ姿を見るだけだ。
 新田が勢いよく立ち上がった。頬の赤みがいきどおりを表している。とめようとした春樹の手を払い、リビングの入り口まで進んだ。
「春樹の苦痛を知って黙ってることはできません。今度こんな傷を見たら、しかるべきところに相談します」
 振り返った高岡は血の通わない笑みをたたえていた。右手の平を舐めながら靴を履く。
「どこへなりとも相談すればいい。春樹のためになることと思えば、信念に従って行動しろ」
 険しい表情になることなく、いつもどおり素っ気なく出ていく。
 新田は完全に閉まっていない玄関ドアを強く引いて閉めた。音をたてて鍵をかけ、大股で歩いてソファに座る。組んだ両手をあごに当て、赤い顔で春樹を見た。


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