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第一話・焔 第三章・2
「鞭……?!」「高岡さん!」
新田と春樹の声が同時に響く。高岡が持つ煙草の先から紫煙が立ちのぼる。脚の上でぎゅっと手を握った新田が、高岡を凝視して言った。
「鞭って……どうしてですか」
「のろまな怠け者がテスト勉強を渋ったためだよ。春樹、灰皿を」
「な、ないです。灰皿なんて」
ローテーブルの脇に雑誌を入れるラックがある。高岡はそこから一冊の雑誌を取り、春樹に投げつけた。
「やめてください!」
新田が叫び、ソファから離れて春樹の前に立った。高岡は新田には目もくれない。
「灰皿を」
高岡は同じ要求をして、人差し指で自分のこめかみを叩く。灰皿がないなら代用品を『考えて』用意しろということか。
奥歯を噛みしめた春樹が立ち上がる。背中と下半身の痛みも消えるほど、脳が怒りだけになった。食器棚のガラスが割れそうな勢いで開け、一番手前にあった小皿を出す。ローテーブルに鋭い音と共に小皿を置いた。
「やり直し」
「はいっ?」
二冊目の雑誌が春樹の足もとに投げられた。嫌悪を隠さない新田が、雑誌のラックを引いて自分の近くに置いた。
「客人にお見せする所作ではない。正座して静かに置け」
春樹は常識外れの男を見ることなく、無言で小皿を取ろうとした。用心には無縁の手首が、強い力でつかまれた。
つかんだのは高岡だった。目が据わっている。
煙草の火が、春樹の手の甲に近づけられた。
「やめろッ!!」
あまりのことに、新田の声と動きがスローモーションで感じられた。
新田の右手が春樹の腕を、左手が煙草を持つ高岡の手首をつかむ。
青いような赤いような顔で高岡を睨みつける新田を、高岡は少しも気にしているふうがなかった。
「親戚の人だからって、やっていいことと悪いことがある。どうかしてる!」
「命令されたら返事をしろと言ったはずだ」
春樹を見据える高岡の目は動かない。煙草の先から灰が落ちかける。
新田が高岡の手首を放し、自分の手を火のついた煙草と春樹の手の間に入れた。新田の汗ばんだ手が、呆けた春樹のネジを巻いた。
「修一! だめ!」
高岡は自由になった手をどけた。小皿に灰を振るい落とし、春樹の手首も放す。春樹を見たまま、落ち着いた口調で命令を繰り返した。
「もう一度言う。やり直せ」
「…………はい」
新田は肩で息をしていた。春樹の腕から離れる手も、震えていた。
春樹はリビングの床に正座し、すでに灰が乗っている小皿を静かに取る。それを高岡の正面に両手で置き直した。
「よろしい。ところで」
とりすました笑みを浮かべた高岡が、立ちのぼる紫煙を眺める。
「相も変わらずひとりで薬も塗れないようだな。よくお礼を言うように」
そう言って、小皿に煙草を押しつけた。春樹が返事をする前に、新田の声がした。
「礼なんかいいです」
正座する春樹の斜め前に立ち、半身を高岡に見せて片膝をついた。
「こんなにぶつなんて普通じゃない。春樹……丹羽くんの顔のアザも、あなたが殴ったんですか」
「そうだ」
高岡は窓の外を見て答える。その態度にカッとしたのか、新田がローテーブルを拳で打った。コップと小皿が振動し、春樹の胸の奥が針で刺されたように痛んだ。
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