Cufflinks

第一話・焔 第三章・2


 自転車のふたり乗りは初めてだった。スピードにのっているときはそうでもないが、思っていたより揺れる。通行人とすれ違うときにヒヤッとした。
「せんぱ……修一、怖い」
「俺の腹につかまってろ」
 ふたり乗りをしたことがないと知られ、怖いという言葉を聞かれた。顔から火が出る。
 新田の腹の前で両手を組み、流れていく街路樹や同じ学校の生徒を見た。木々の緑はみずみずしく、テスト最終日を終えた生徒たちは楽しそうだ。
 自転車のタイヤから衝撃が伝わる。三浦兄弟に傷つけられた下半身が痛い。今日はまだ鎮痛剤を飲んでいなかったが、新田の体温が痛みどめになりそうだった。
「寒いか?」
 信号でとまった新田に訊かれる。春樹は首を横に振り、一瞬だけ新田の肩に頬を当てた。
「寒くなんかない」
 視界の端でとらえた新田の笑顔は、花をいつくしむときのものだった。


 午後の早い時間に帰っても竹下がいない。こんな平日は久しぶりだ。
「着替えてきます。座ってて。飲みもの、後になるけど」
「俺のことはいいから、早く濡れた服を脱げ」
 新田をリビングに残して寝室に入る。ひと回り大きい新田のブレザーを脱ぎ、椅子にかける前に嗅いでみた。いつもと同じ、日なたの匂いがする。
 シャツの袖から腕を抜いたときだった。ノックもなく、新田が寝室に入ってきた。
「ごめん、春樹。ちょっと見るぞ」
「えっ、いやだ……修一!」
 春樹のシャツが取り去られる。新田は抵抗する春樹の手を押さえ、まず腹、次に背中側のアンダーウエアをめくった。息をのむ音が春樹にも聞こえた。
 春樹は抗うことなく、下を向いて学習机に手をついた。
「……痛いだろう」
 アンダーウエアが下ろされ、柔らかい感触がした。学習机に置いた時計の表面に、春樹の背中に唇を寄せる新田の姿が映った。声をあげて泣きそうになり、歯を喰いしばった。
「タオル持ってくる。薬が入った袋も。着替え、出しとけよ」
「薬が入った袋……?」
 寝室から出ていく新田が春樹を振り返る。いきどおりを抑えた顔だった。
「台所のテーブルに、病院の袋があった。湿布を貼るときに使うようなテープが見えたから、悪いと思ったけど中を見た。外用薬があったから、怪我でもしてるんじゃないかと……ノックしなかったことは謝る。声をかけると、隠すと思った。学校で水がかかったときも、その傷を隠すために脱がなかったんだろ」
 春樹はうなずくことしかできない。涙が落ちても見られないよう、新田に背を向けた。
 弟の葬儀で竹下が出勤しないとわかっていたため、片付けずに登校した。テープと格闘して朝食も食べていない。
 今までと同じ、間抜けな行動の結果がこれだ。新田をどれだけ悩ませれば気がすむのだろう。
「話より、傷の手当てが先だ」
 自分に言い聞かせるように言い、新田は脱衣所に歩いていった。春樹は落ちる寸前だった涙を拭う。
「リビングで手当てしよう。ここより陽が当たるみたいだから」
 一度寝室に戻ってきた新田が静かに声をかけた。涙を拭ったときにファンデーションが手についたが、アザを隠すことはあきらめた。新田の見ている前で化粧などしたら、待っているのは混乱だけだ。


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