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第一話・焔 第三章・2


(怪しまれるって…………何を…………?)
 背後でドアが閉まる音がした。高岡の靴音が遠ざかる。
「どうやら高岡くんは大変な失敗をしたらしい」
 運転席の窓が下りていたので、佐伯の小声がはっきり聞き取れた。
 失敗とは何だろう。ショーは成功したと、佐伯も言っていたのだが。
 どういう意味か訊こうとしたら、不規則で騒々しい音がした。稲見が息を切らして駆けてくる。乱れた髪や首まで濡らす汗に、春樹を捜して走り回った苦労が滲み出ていた。
「春樹くん、きみね、困るよ、じっとしていて、くれないと。佐伯様、何か、ご迷惑を」
「何もありませんよ。良い夜でした」
 佐伯は言い、車の窓を上げた。髪と呼吸を整える稲見についていく春樹が振り返る。
 後部座席に座る男が両手を振っていた。振り返した春樹の手に、親しみはこもっていなかった。


 自宅マンションの駐車場で降ろされるまで稲見の説教は続いた。
 言われたことの十分の一も覚えないまま稲見の車を見送る。腕時計は夜の十一時で、日中よりも冷えていた。
 北から吹く風に顔を向けて目を閉じた。駐車場の柱に寄りかかる。
 あんなこと、あっていいはずがない。人を四年も檻に入れ、鎖で引き回し、捨てるなどということが。
 男が以前から口がきけなかったのか、三浦に喉を潰されたのか。それは関係ない。話すことができないなら、書くことを許すべきだ。

 『一割が暴力ならそれは教育じゃない。いけないことなんだ』

 いけないこと。そのとおりだ。暴力はありがとうの五文字を忘れさせてしまう。
 三浦から佐伯のもとに渡ったところで、痩せた男は所有物のままだ。痛みで確かめる愛があの男の喜びで、奪われた言葉を取り戻すために要する日数は短くないだろう。
 頬を手の甲で触ってみた。少し熱い。手の平に唇を当てる。胸が痛くなり、しゃがみ込んだ。
 高岡のネクタイで守られた男を見たくなかった。
 春樹が付けた傷にキスする男と、男の気持ちを受けとめる高岡から遠く離れたかった。

  あれはお前が付けた傷だ。あの傷に触れていいのは、お前だけだよな。

 いつの間にか覆っていた顔を上げた。そこらじゅうを見回す。春樹以外には誰もいない。
「僕の……声……」
 ぞっとして柱から離れた。
 自分の中のもうひとりの自分の声だ。高岡に初めて抱かれた夜から、頭の奥でするようになった。
 塔崎を惑わし、春樹に唇が寂しいと言わせる、得体の知れない声だ。
 淫らで束縛を嫌う声が、また頭の中でこだました。

  認めろよ。お前が気に入ってる男は────────

「やめっ、やめろ! 違う!!」
 感じたことのない焦りが春樹を追い立てた。駐車場を突っ切り、非常階段の手すりにしがみつく。
 カフスボタンを捨てよう。あんなものを後生大事にしまっておくから、ばかげたことを考えて幻聴まで招くのだ。
 部屋に急ごうとしたとき、ジャケットの内側が震えた。携帯電話を開いたはいいが、通話ボタンが押せない。
 五月の北風が体の熱を奪う。

 『新田先輩』の文字がスクロールする待ち受け画面を、突っ立って見ていることしかできなかった。


<  第三章・3へ続く  >


【 あとがき 】
読んでいただき、ありがとうございました!
続きは第3章・3のupまでお待ち下さい。
新田がたくさん書けて楽しかったです。
今回のショーの舞台装置にはモデルがあります。
次回からそろそろエロいシーンが戻るかもです。


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