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第一話・焔 第三章・2
「新田先輩を手伝うの、久しぶりな気がして。どうして今、水やりしてるんですか?」
暑い時間の水やりは良くないと聞いたことがある。新田はホースを繰りながら言った。
「明日、朝早くから家族で出かけるんだ。予報では明日も雨降らないって言ってたし、ずっとやってなかったからな」
新田が水をやっている花は、白くて小さなキク科の花だ。花壇の前列を広く埋めている。乾燥に耐える花だから水は控えめにしていると言っていた。
花壇に捨てられたゴミを取り除きながら、新田の顔を盗み見た。花の世話に集中できる気持ちではなかっただろう。強引に思いを遂げようとして、春樹に突き飛ばされた。恥と後悔が胸を占める日々でも、新田はどの花にどれくらい水をやっていないのか把握していたのだ。
嫌なことがあっても、やるべきことをやる。それが落ち着きと頼もしさを生み、弱い春樹を惹きつける。
自分から罠にかかって背中に傷を作り、ガーゼひとつ満足に貼れない春樹は、新田に追いつけるのだろうか。
「先輩みたいに……なりたいな」
「何か言ったか?」
つぶやいた言葉を繰り返すのが恥ずかしくて、ホースをまたいで隣の花壇に移動した。
またいだと思ったのだが、春樹の足はホースをひっかけていた。
あっという新田の声と共に、冷たい水を大量に浴びた。春樹に引っ張られて向きが変わったホースのヘッドを、新田が慌てて下にする。
「ごめん! ごめん春樹!」
ヘッド部分のレバーで水をとめた新田が、ハンカチで春樹の髪を拭く。肩と背中を拭かれて、反射的に体をよじった。
「ブレザー脱いだほうがいい。風邪ひくぞ」
頬の皮膚が固まる。春樹は新田から離れ、手を広げて振ってみせた。
「平気です。暑いくらいだし、シャツまで濡れたわけじゃないから。水、とめてきます」
実際には襟から水が入りシャツも濡れていた。アンダーシャツも冷たい。今見られたら、疑念を抱かれるのは避けられない。ホースがつながれている蛇口を捻ったとき、新田が走ってきた。
「もろにかかったんだ、脱いだほうが乾きが早い」
「いいんです。全然、冷たくないです」
理由をこじつけて先に帰るしかない。どう切り出すか考える春樹が、あたたかさに包まれた。
新田のブレザーが肩からかけられたのだ。
「送ってく。ちゃんと袖通して、ボタンはめろ」
新田はホースを手早くかたづけると、他の園芸用品も持って用具倉庫に向かう。
急用を思い出したと言えばいい。早く新田から離れるんだ。疑いは最小限にしろ。
大切な人のもとから今だけ去るという簡単なことが、春樹にはできなかった。
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