Cufflinks

第一話・焔 第三章・2


 緊張が駆け抜ける中、高岡だけがのんびりしていた。
 檻の向こうで首をかしげ、おや、という仕草をしている。遠くを見るときのように、目の上に手を当てて檻の中を見た。
 目と鼻の先に檻があるのに、不必要に遠方を見やる動作がコミカルだ。客席から笑いが漏れる。
 檻の一部は開閉できるようになっているようで、高岡は柵をスライドさせて中に入った。男には目もくれず、すたすたと観客席に向かって歩いてくる。
 あと一歩で舞台から落ちるというキワで直角に曲がった。その姿もかなりおかしいのだが、舞台の袖に向かって両手を合わせ、Tシャツ姿のスタッフを大真面目な顔で引っ張ってくるものだから、場内は一気に笑いの渦に包まれた。
「上手いね。昔取った杵柄だ」佐伯が言う。
「昔?」
「高岡くんは大学生のころから舞台に立っているが、夜の仕事に専念するまではノーギャラのコミカルな仕立てのショーや、前座を務めていた。今はもう少し敷居の高いショーにしか出ない。ほら、三浦氏の愛奴も泣きやんだ」
 鎖の音がしていない。泣きじゃくっていた若い男は、とまどい気味に高岡を見ている。
 高岡の大げさな身振り手振りどおりに男の顔を拭いたスタッフが、急いで舞台袖に戻る。小走りで戻るスタッフの後を、同じ姿勢で高岡が走って追いかけた。場内にまた笑いが起こる。
 横柄で恐ろしい高岡しか知らない春樹でも吹き出しそうになるのだ。男の緊張は楽に解けたみたいだった。
 スタッフが舞台袖から手だけを出して、白いハンカチを高岡に渡す。自分のハンカチを返してもらった高岡は、再び直角に曲がって男の横に立つ。男は高岡を仰ぎ、かすれた、聞きとれないほど小さな声をたてて笑った。
 とうとうこらえきれなくなり、下を向いて笑ってしまった。稲見も笑っている。佐伯を見た春樹から笑みが消えた。
 佐伯の目は舞台ではないところを見ていた。三浦が座る席のあたりを、鋭い目が射貫いている。
「あの愛奴……喉が潰されている」
 聞き間違いではないかと思ったが、ショーは進行していた。
 高岡がスーツの上を脱ぐ。スリーピースのスーツは、三浦と談笑していたときと同じものだ。
 脱いだ上着は高く放り上げられ、柵の上部に引っかかる。服を投げるという行為で客の目線が一旦リセットされた。
 舞台の真ん中で、高岡がゆっくりとベッドの周りを歩く。細い鞭で男の体を撫でながら。
 大振りの鞭を柵に立てかけた瞬間も、細い鞭をいつ、どこから出したのかもわからなかった。
 一歩、二歩と刻まれる靴音のリズムが、皆を高岡の世界に誘っていく。
 音楽もセリフもない。高岡は役者ではないので、パントマイムも完璧ではない。
 にもかかわらず、高岡の少しの動きが春樹の体を落ち着かなくさせた。
 それは鞭で愛撫されている男も同じようだった。目の周りが赤い。京劇の役者を思わせる赤さだ。頬にも血が通い、げっそりこけていても不思議な妖しさがあった。
 高岡は一度も男から鞭を離さない。先の柔らかい部分やしなる柄で、触れるか触れないかの接触を続ける。ベッドが揺れ、男の唇に高岡の形の良い唇が触れそうになった。
 意識的に目を逸らせた。もう見たくない。異常なシチュエーションの、おかしなショーだ。
 脚のないベッドと共に、若くて痩せた男が吊るされている。キイ、キイと鳴るベッドの音は寂しく、どこか退廃的だ。
 あやふやな存在である、揺れる男に自分を重ねた。
 観客であるから、春樹の鼓動も乱れるのだ。それだけだ。それだけのことだ。
「高岡くんのショーは初めて?」
 不意に訊かれて言葉がつまった。笑顔をつくり、首を縦に振る。佐伯も笑顔になった。
「彼のショーに当てられる客は多い。舞台経験が浅いころはコントロールできなくてね、よく叱られていたよ。彼の前座の直後に、男女の客がホテルに行ってしまうから」
 狂犬の失敗談を聞けるとは思わなかった。椅子に深く座り直して舞台を見る。
 稲見も、両隣の客席の人たちも、舞台に釘付けになっていた。


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