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第一話・焔 第三章・2


 高岡の書いた礼状は、簡潔でやや硬い文章だった。
 春樹は何枚も便箋を破り、自分では使わない表現を丁寧な話し言葉に直して書いた。正しいという自信はない。
 それでも、塔崎に語りかけるようなものにはなったと思う。
 礼状をバッグに入れて自宅を出る。都心に向かう電車から外を見る間も、思い出すのは狂犬のことだった。
 理由なく春樹の部屋を訪れたと思われるのを避けるため、高岡は予定どおり塔崎からの旅行券を渡した。贈り主を春樹の父だと言い、塔崎のメッセージカードを抜いて一旦姿を消す。しばらくして、新田が帰ったと確認してから部屋に戻り、礼状の見本を書いた。
 縦書きの便箋も白い縦長封筒も、春樹の部屋にはなかった。高岡はそれらを用意したのだ。ひとりで薬も塗れない春樹がろくに食べていないだろうと推察し、シャケ弁当まで買ってきた。
 何よりも、三浦の鞭を自分の鞭だと言い張った。
 背中の傷を知らないと言えば、春樹を傷つけた者を知りたいと思う新田の気持ちは強くなるだろう。高岡が折檻で鞭打ったことにして、さらに煙草の火を近づけるという蛮行を見せることにより、遠い親戚の高岡はおかしな思考の持ち主だと印象付けた。
 電車のドアにもたれかかる。送風が頭を冷やしていく。
 商品の世話を焼くならわかる。自分の評価にもつながるからだ。今の春樹は社に仕事を辞めるとは伝えていないが、高岡には一度、辞めると言った。本心からの結論を待たれている状態だ。
 そんな中途半端な存在に、あれこれ指導するのはどうしてだろう。

 『春樹の未来を、強制のない優しさだけで明るいものにできると思うか?』
 『仕事を続けようが辞めようが、自筆で礼状を書く機会は間々ある』

 高岡は、あの動物みたいな目をした男は、春樹の将来を考えて行動している。
 出会ったときから終始一貫して春樹を引っ張ることをやめない。強引すぎて春樹の腕が抜けそうになっても、必要だと思うからそうしている。
 だから────だから、合鍵を置いていかれたとき、見捨てられたと思ったのだ。
 電車が揺れる。線路の継ぎ目を踏む度に、金属的な音が響く。
 重い車体を動かす振動に、頭の芯まで打たれた。


 父の社の時計は五時前を表示していた。
 大理石とガラスで占められた一階のロビーは、立ち位置がわからなくてもぞもぞする。受付で稲見と自分の名を告げると、数分待つように言われた。
 受付前でじっとしているのもおかしな感じがして、ロビー中央にある模型を見ることにした。大きな模型は、本社の社屋を精巧に表現している。模型を囲うアクリル板に、意味なく高い吹き抜け天井が映り込んでいた。
 模型から離れて天井を見上げる。この建物のどこかで、父が働いている。
 会社の金を横領し、自らの家庭生活を守るために春樹の生活費と学費を打ち切った。愛人の子である春樹は、父と十六年間、一度も会ったことがない。
 血を分けた息子が生きるために流す涙も、自ら命を絶とうとしたときに叫んだ喉の痛みも、父は何も知らない。
「春樹くん、待たせてごめん。忙しい? 忙しくないよね。テスト終わっただろうし」
 強化ガラスの階段を下りてきた稲見の手は、すでに自分の胸ポケットにいっている。
「旧館の喫茶室、ですよね。お礼状持ってきました」
 会釈して塔崎への礼状を渡す。稲見は封筒を軽く振って微笑んだ。心は煙草が吸える喫茶室にあるのだろう。
「全面禁煙で肩身が狭いよ。禁煙ファシズムだ」
 喫煙が良いことだとは思えないが、ここよりは旧館内にある狭い喫茶室のほうが落ち着けそうだ。
 稲見について少し進んだとき、見たくもない社員とすれ違うことになった。


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