Cufflinks

第一話・焔 第三章・2


 今日の雲は厚い。日光は弱いが気温が高いためか、制服のブレザーを脱ぐ生徒が多かった。リスニングのテストが終わった時点で、時刻は正午近くになっていた。
「終わったー! 丹羽あ、どうだった? おれやばい……っと」
 春樹が落としたペンケースを拾った森本が、春樹の顔を見て眉を寄せた。
「熱あんのか? 顔、赤いぞ」
「大丈夫。暑くて……ありがとう」
 春樹はひたいの汗を拭った。晴れていたらもっと暑かっただろう。
 今朝もガーゼが上手く貼れなかったため、厚いアンダーウエアを着ている。制服のシャツは厚みが二種類あり、袖の長さを守れば好きなほうを着ていいとされていた。薄手のシャツを着ても汗が滲む。ブレザーを脱ぐことができればいいのだが、それはかなわない。染み出す血液が、シャツの上から見えてしまうためだ。
「暑いなら脱げよ。つーか腹減ったなー。どっかで飯食おうぜ」
 森本はもう視聴覚室の出入り口付近にいる。自分のブレザーを腕にかけ、春樹の筆記用具も持ってくれていた。
「ごめん。朝たくさん食べたから、お腹減ってないんだ。リスニングは散々。追試かもしれない」
「なんであんな速いんだよなあ。英会話教室じゃねーっての。また今度、飯いこうな」
「うん」
 本当は空腹だった。しかし、今食べたら間違いなく体温が上がる。森本に顔色の変化を見られたくない。
 口の横のアザも変色し、一部が濃くなっていた。休み時間のたびにファンデーションを塗り重ねている。食事で汚れた口もとを拭いて化粧が剥がれれば、異変に気づかれてしまう。
 下駄箱があるホールの前で、森本と手を振って別れた。何気なく校庭に顔を向ける。聞き慣れた音を感知した。
 シャワーヘッドを付けた長いホースで、新田が水やりをしていた。花を見る表情は、フェンス越しにキスをした日とは違う。水滴をまとった花々が新田に話しかけているみたいだった。
 気がつくと春樹は、生き生きした花であふれる花壇の前に立っていた。
「はる……丹羽。今帰るのか」
「もう少し、ここにいます」
 鼓動は新田を見た瞬間から速くなっている。顔も熱い。汗で化粧が浮くかもしれない。間近で見られたら、ファンデーションの下の変色がわかるかもしれない。
 新田には常に健康な姿を見せるべきだ。新田の苦しみは、どんな罰よりつらい。わかっていても実行できない自分が嫌になる。
「丹羽。どうした?」
 しゃがんでいた春樹が顔を上げた。新田の眼差しの自然さが、春樹の笑顔を誘った。
「どうしたんだ。テスト、自信あるのか?」
「ないです」
「なら、どうしてそんなに楽しそうなんだ」
 春樹は立ち上がり、袖をまくった。汗ばんでもブレザーさえ脱がなければいい。顔も接近させなければいい。
 新田のそばにいたかった。


次のページへ