Cufflinks

第一話・焔 第三章・1


「死ねもしないのに、死のうとした。修一に何も言わないまま、死のうとした。あんな姿で死んで修一がどう思うかなんて、考えもしなかった。修一は優しい人です。こんな味噌っかすでも、すぐに忘れてくれる人じゃないのに……!!」
 後は言葉にならなかった。高岡のシャツをつかみ、涙が流れるのにまかせた。
 万が一自殺に成功していたら、新田は春樹の死をどう受けとめるだろう。
 顔を真っ赤にして愛してると言い、花言葉と共に花を贈った相手が、汚れた全裸で死んだりしたら。
 自殺の理由がわからずに思い悩むだろう。知らない男に凌辱された映像を目にしたら、疑問と怒りにさいなまれるに違いない。春樹の醜悪な仕事を知ったら、救えなかったと自分を責める。新田はそういう男だ。
 新田にそんな思いをさせないためには、姿はどうあれ春樹が生きていなければならないのだ。
「い、生きてれば、僕が生きていれば、嫌いになってもらうことも……できるのに」
 混乱から救った香りが、すぐそばで香った。ベッドに手をつき直した高岡の首すじが、春樹の顔をかすめる。
「わかればいい。今の気持ちを忘れるな」
 高岡が体を起こす。肌掛けをめくり、春樹にかけた。左手で春樹の靴を脱がせる。春樹が落としたペットボトルを拾い、こぼれた水もタオルで拭いた。
「ゲームはお前の勝ちだ」
「え……?」
 隣のベッドに高岡が腰を下ろした。サイドボードに備え付けられた時計を触る。
「俺に乗られて怖がった。怖いのは俺か? 男か」
 答えられない。高岡が三浦に化けたと錯覚して、手に噛み付いて抵抗した。高岡個人に対する恐怖ではないと思うが、言葉にするには冷静さが欠けすぎている。
 高岡はベッドに腰掛けたまま春樹を見た。光る双眸に、怒りや苛立ちは感じられない。
「男に強い恐怖を抱いていては、仕事を続けるのは無理だ。ひとつケリをつけてからの交渉になる。少々時間を要するから、お前も体を休めろ」
「ケリをつける……って」
「時計を七時にセットした。起きられそうになければ、フロントにモーニングコールを頼め」
 床を拭いたタオルを拾った高岡が、スーツのジャケットをつかんでドアに向かう。春樹が起き上がったときには、高岡はドアノブに手をかけていた。
「家政婦が出勤するまでには、部屋は元どおりになる。這ってでも登校してテストに臨め」
 煙草の煙も残さず、高岡が消えた。ベッドの下には春樹の靴がそろえて置いてある。
 体が急に重くなった。横になろうと枕をずらしたとき、小さな物音がした。ベッドの宮に立てかけられていた枕をどける。シーツの上に金属片が落ちていた。
「カフスボタン……?」
 春樹が取り上げたものは、銀白色のカフスボタンだった。正方形に近い長方形で、両端と中央に光沢のある細い銀のラインが入っている。面の部分は紗がかかったような質感だったが、白っぽい色をした銀だった。
 留め金が歪んでいる。高岡を三浦だと錯覚して揉み合ったときに、むしり取ってしまったからだろう。高岡の血が少しだけついていた。
 カフスボタンをサイドボードに置いた。父親と離れて暮らす春樹にとって、カフスボタンは親しみのないものだ。高岡の袖口を飾る輝きを、じっと見たことはない。
 片方を失くしたことに気付いただろうか。留め金を壊してしまい、怒るだろうか。

 『あんたにとってただの商品じゃない子だ』

(壬さん……なに……? 何を言ってるの……)
 まばたきの回数が増えた。肌掛けの暖かさが体を包む。いよいよ体の重みが増し、呼吸が深くなった。
 サイドボードにある銀白色の煌めきは、高岡の眼光に似ている。
 閉じては開けるまぶたの裏に、点と線の光が舞った。カフスボタンの残像が、ほのかな緑色の点に変わる。
 闇に溶ける緑の点を追いながら、春樹は眠りに落ちていった。


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