Cufflinks
第一話・焔 第三章・1
用具倉庫はいつもと同じ匂いがした。土の香りに混じる堆肥の臭いも、嫌なものではない。
明り取りの窓は開けなかった。曇りがちな空からは、陽の光は射し込まないだろう。
春樹は新田と座る棚板に腰を下ろした。腹の奥と背中が痛い。頬の内側の切れたところも痛かった。
今朝は高岡がセットしたアラームが鳴る前に起きた。疲れた体は深い眠りを欲しがったが、少しの物音や体の痛みが邪魔をした。眠ったと実感できたのは、高岡が出ていってからの一時間ほどだけだ。
隣室や階上で何か音がするたびにドアを見た。粥川が、三浦が入ってくるのではと身構え、肌掛けを頭から被った。結局六時前にはベッドを出て、身支度をしたのだ。
鞄からファンデーションを出す。高岡が買ったコンビニの袋には、小さなパウダーファンデーションが入っていた。
昨夜ゼリーを食べたときには、気付かなかった。朝に見たときも、高岡が間違って買ったものだと思った。
身支度のために浴室に入って、間違いではないとわかった。湿布で顔の腫れは何とかなったが、口の横にはアザがある。高岡は、暴力の痕跡を隠すために買ったのだ。
早朝のホテルでゼリー以外の食品を流し込み、ファンデーションでアザを隠した。電車に乗っている間も、駅ビルのコインロッカーに私服を入れた紙袋を入れるときも、過ちを取り繕う化粧が剥がれていないか気になった。
駅ビルのトイレで塗り直したところを、ファンデーションの容器にある鏡で見た。剥がれてはいない。赤紫色の醜い痕を隠している。それでも春樹は、もう一度塗らずにはいられなかった。
『這ってでも登校してテストに臨め』
高岡は、ゲームは春樹の勝ちだと言った。ふたりで高岡の手の平を包丁で引き切るという、野蛮で無意味なゲームの勝者は春樹だと言った。勝てば仕事をやめられる。仕事をやめれば通学は難しくなる。
通学できなくなるなら、テストなどどうでもいい。そう思ってホテルを後にした。あてもなく歩くつもりだった。
死ぬことをあきらめるだけで、精一杯だったのだ。何もしたくなかった。誰にも会いたくない。瀬田のようにトンカツ屋で働く自分の姿を思い描いてみても、しっかりした絵にはならなかった。夜の街で男に媚を売る姿しか想像できない。
あてもなく歩くつもりが、電車に乗っていた。何度か乗り継ぎ、学校最寄りの駅ビルで降りた。ファンデーションを気にしながらコインロッカーに荷物を入れ、正面校門を通った。桜の巨木を誇る校庭は、新田が掃除を終えた後だった。
校庭に残る竹ボウキの跡を見たときに、学校へ来てしまったのだと思った。
竹ボウキを見る。定位置に立てかけられ、柄も拭かれていた。
春樹は立ち上がり、竹ボウキの柄に触れた。胸が静かに脈打つ。
掃除も終わり、拭かれた竹ボウキに新田の体温はなかったが、鼓動は嬉しいと言っていた。目の奥が熱くなる。
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