Cufflinks
第一話・焔 第三章・1
ビジネスホテルのフロントに着いたのは、午前三時前だった。
雑居ビルの医院で拭いてもらったとはいえ、高岡も春樹も血の跡が完全に消えてはいない。男性従業員の目には、隠せない不審があった。
高岡がスラックスのポケットに左手を入れ、キーケースを出した。鍵を包むフラップ部を開いて床に落とす。鍵が床に当たる音が響いた。
「申し訳ありません。取っていただけますか」
フロントにいる従業員はひとりだけだ。二十代前半に見える従業員が、緊張の面持ちで出てくる。
「些少ですが」
従業員が差し出したキーケースを受け取る際、高岡が小声で言いながら紙幣を手渡した。
フロントに背を向け、自然な動作で現金を従業員の手の中に入れる。
「お部屋は四〇八号室です。エレベーターを降りて、左手奥でございます」
男性従業員の口からは、困る、断る、という種類の言葉は出てこなかった。宿泊の受け付けをしたときとは百八十度違う笑顔で、エレベーターを指し示した。
「制服を吊るしておけ。何でもいいから腹に入れて薬を飲め」
部屋に入るなり、高岡はそう言って窓辺に向かった。ベッドにコンビニの袋を放り、携帯電話を開く。
春樹は制服を出した。クローゼットのハンガーが細い。制服をかけてから部屋を見回す。シングルベッドがふたつで、ソファはひとり掛けのものがひとつあるだけだ。テレビは液晶テレビだったが、小さかった。
ベッドに放られたビニール袋を開ける。ホテルの隣のコンビニで、チェックイン前に高岡が買ったものだ。
開けたものの、何も食べる気がしない。
高岡は窓の外を見ながら話をしている。春樹のマンションへの道順を伝えているようだ。血で汚れた部屋を片付けてくれる業者と話しているのだろう。
栄養補助食品のゼリーを吸った。気が抜けた甘さしか感じない。半分ほど流し込み、ミネラルウオーターを取り出す。医院で処方された薬を飲んだ。
ごくりと飲み下すと、喉が痛んだ。腹も痛い。手首も、頬も背中も、体の奥も、我も我もと痛みを訴える。
こっちを先に見てくれ! いや、こちらを心配しろ! ここのほうがもっと痛いぞ!
体がバラバラになり、一斉に不平を並べ立てた。春樹は両手で耳をふさぎ、ホテルの床にしゃがみ込んだ。
ミネラルウオーターのペットボトルが転がった。水が床にこぼれる。
おい間抜け! お前が間抜けだから痛い目にあったんだ! どうしてくれる!
「うる……さい……!」
語尾がかすれた。喉がひゅうひゅうと鳴る。涙は出ないが体が震える。
こんな体、必要ない。焔を宿して男を簡単に受け入れる。
快楽を享受する体は、トラブルが起きると春樹の心を責め立てる。お前がおかしいのだと、口汚く罵る。
黒いマスクを被せられ、三浦に犯された。犯されながら、死ぬと叫んだ。奇妙な姿で犯されていても、見る人が見れば春樹だとわかるだろう。マスクを剥ぎ取られた顔を見られたら言い訳のしようがない。
無意識にベッドを見た。淡いベージュの肌掛けの上に浴衣が置いてある。
浴衣の上には帯がある。首を吊ることが────できる。
次のページへ