Cufflinks

第一話・焔 第三章・1


 服を着て戻ったリビングには、生気のない高岡がいた。ダイニングの椅子に腰掛けてうつむいている。
「高岡さん……?」
 男らしい肩に触れようとした。高岡が逃れて身を引く。椅子の脚が音をたてた。
 端整な顔が青白い。タオルの赤い点は広がってつながり、いびつな形になっていた。
「高岡さん!」
 下を向いていた顔が上がった。ぼんやりと壁を見る。
「病院に行きましょう。きゅ、救急車を」
「救急車は……呼ぶな。現金を残らず持て。登校に必要なものを用意しろ。今夜はホテルに……泊まらせる」
 高岡の声は途切れ途切れだった。頬も左手も、血の存在を忘れたように白い。
 春樹は寝室に取って返した。扉を開けたままにして、制服と下着を紙袋に放り込んだ。ありったけの現金と学習用具を通学鞄に突っ込んだとき、大きな物音がした。
「……高岡さん?!」
 廊下に長身の男が倒れている。玄関の手前にあるスリッパ立てが、ひっくり返っていた。
「たかっ、高岡さん! しっかりしてください!」
 高岡の体を揺すった。目を閉じたまま高岡が上半身を起こす。春樹を押しのけ、ぶつかるように壁にもたれた。
「た、か……」
 春樹は両手で口を覆った。高岡の右手に巻かれたタオルが、真っ赤に染まっている。
 タオルと皮膚の間から、鮮血が流れていた。
「あれは新田からの……贈り物か」
 高岡の視線を追う。ダイニングの椅子の下に、ぼろ切れが落ちている。
 姿は変わってしまったが、キキョウのハンドタオルだ。春樹の視界が小刻みに揺れる。
「そうです。僕の、僕の不注意で」
「生きていれば……また贈って……もらえる」
 靴箱の端にかけた高岡の左手が滑った。かろうじて引っかかっている指先も、色を失っている。
「高岡さん!!」
「……いいか、春樹。誰に何を訊かれても……これは事故だと…………言え」
 左手が玄関に落ちた。立てていた膝にひたいが触れる。頭部に押されて膝が伸び、上半身が崩れ落ちた。
「高岡さん! 起きて! しっかり、しっかりしてっ!!」
 頬に触れてみる。冷たい。いつもの体温ではない。
 不敵な面構えで笑い、我が物顔で振舞う狂犬ではない。
「起きてください! 目を開けて!! 動物みたいな目を、開けてください!!」
 タオルは絞れそうなほど血を含み、鉄臭い臭いを放っている。
 救急車を呼ぼう。それしかない。
 リビングに駆け込もうとしたら、聞き慣れない音につかまった。携帯電話の着信音のようだ。寝室から聞こえる。
「高岡の……携帯電話」
 つまずき、壁に手をついて寝室に転がり込んだ。高岡のジャケットは、服を着たときに学習机の椅子にかけた。椅子を倒しそうな勢いでジャケットを引っ張り、携帯電話を取り出した。通話ボタンを押す。
「高岡? あの子どうだった? 電話してくれた?」
 壬の声だった。春樹は携帯電話を両手で持ち、震える声で叫んだ。
「高岡さんが! 高岡さんが怪我して動かない!!」
 一瞬の沈黙があった。紙をめくるような音と、ペンをノックするような音が続く。
「救急車呼んだ?」
「まだです! 呼ぶなって言うけど、血が、血がすごくて」
「すぐ行くから、そこの場所を教えて」
 何度もつかえながら自宅マンションの所在地を告げた。部屋番号まで言うと、短い返事を残して電話が切られた。
 恐る恐る高岡に近寄る。強く揺さぶっても体が揺れるだけだ。まぶたも眉も、ぴくりともしない。


次のページへ