Cufflinks
第一話・焔 第三章・1
斎場は小ぢんまりとしていた。面した通りにはバス停があり、地下鉄の駅も近い。腕時計は八時を刻もうとしていた。
通夜に来た親族は数えるほどしかいなく、全員が通夜ぶるまいの席に残っている。テスト勉強の時間を割いては悪いからと、竹下は春樹に助六寿司を持たせてくれた。
喪主であるためなのか、竹下が悲しみを面に出すことはなかった。声もしっかりしていた。しかし目の下には化粧でも隠せないくまがあり、喪服の輪郭は縮んで見えた。
職場に復帰すれば、食事の世話などで竹下の気も紛れるだろうか。
春樹が仕事をやめれば竹下も生活の糧を失う。苦労して職にありつけたとしても、今より条件は悪くなるはずだ。寒くなると傷む足首をさすりながら、必死に働いて老いていく。
地下鉄駅の入り口を示す案内板が見えた。頬にえくぼのある男が、路地から出てきて行く手を阻んだ。
「粥……川……!」
寿司が入った袋を投げ付けようとした。粥川が首を横に振る。
「ひとりで向かったと伺いましたので、お迎えにあがりました。通夜ぶるまいの品でしょう。粗末にしてはいけませんよ」
「仕事でもないのに関わらないでください! 迎えの必要なんてありません。ひとりで帰ります!」
粥川の頬からえくぼは消えない。薄いビジネスバッグから何かを取り出す。ポータブルDVDプレーヤーだ。
「丹羽さん。あなたの調教師は間もなく都内に入ります。あなたは知りたくないですか? 彼がどうやって、あなたへの土産を手中に収めたのか」
銀色に光るDVDプレーヤーが、粥川の顔の横で二、三度振られた。
助手席側のドアを閉めないことを条件に、粥川の車に乗った。コインパーキングに停めた車中でDVDが再生される。
「音は入っていません。撮影する際の条件だそうです。昔のビデオテープをDVDに焼き直したもので、画質は良くなっていますよ」
窓辺に立つひとりの少年が映し出された。窓の外に広がる庭園を見ている。少年がいる部屋は、古い洋館のようだ。高くて大きな窓の上部が、アーチ状になっている。
撮影している者に呼びかけられたのか、少年が振り返った。少年の顔を見た春樹は、声をあげそうになった。
凛々しく上がった眉と、きつい眼光の切れ長の目。高い鼻梁が真っ直ぐ通っている。唇の形も、あごの線も美しい。
黒髪は整えられ、白いドレスシャツが小麦色の肌によく映えていた。撮影者を睨む目は、年齢が変わってもわかる。
春樹が見ている映像の中の少年は、まだ若い高岡だった。
何歳なのだろう。細身ではあるが華奢ではない。高校生かもしれないが、二年生や三年生ではないように思う。
ビデオカメラを睨みつけながら、高岡がシャツの胸を開いていく。若い素肌があらわになるにつれて、映像がぶれた。
「いや、上手くないですね。彼は脱ぐのが苦手なようだ」
笑いをこらえた粥川が言った。確かに大きな窓を背にした高岡の脱ぎ方は雑で、嫌々従っているとひと目でわかる。映像が動くのは、撮影者が笑っているからかもしれない。
シャツを脱ぎ終えた高岡は、目を伏せて作業を続行した。ズボンを脱ぎ捨てて下着に手をかけたとき、高岡の肩に黒い蛇のようなものが触れた。長い蛇が曲げられて輪になっている。黒い蛇の輪は、高岡の鎖骨や首すじを舐めるように撫でていき、あごの下でとまった。
鈍い光沢がある黒い蛇で支えられた高岡の顔は、凄まじい怒りを内に秘めていた。
頬が血を透かしている。撮影者を見る目の光が尋常ではない。
透明感のある薄い茶灰色がかった瞳の奥に、白く燃える炎があった。
映像が停止した。DVDプレーヤーが閉じられる。
「ここから先は見せないようにと、三浦様のご命令です。鞭で打たれる織田沼彰は人気があったようですが、調教師のプライドは守りませんとね」
あの黒い蛇は鞭だったのか。何か言いたいことは? と、粥川の顔に書かれている。
「この……この映像と……同じことをして……?」
「まさか。都心から離れたところで、この映像を観賞しただけです。三浦様もご同席されましたが、現役の調教師を打つことはなさいません。織田沼彰の映像は高値で取引されたそうで、所有する者も限られます。市場に出回らなかった映像と、あなたの携帯電話とを交換したのです。ご安心を。あなたの映像は、携帯電話にあるものだけですから」
暴力でも土下座でもなかった。高岡は敵の陣地に乗り込み、わからせたのだ。何も恐れはしないと。
屈辱的な映像をすんなり渡し、こんなものに縛られはしないと伝えた。卑しい生業の者が平然と昔の恥を晒した。
狂人どものことだ。酒を酌み交わしながら、高岡と一緒にDVDを観賞したのだろう。三浦に心酔し、小間使いにも成り下がる粥川も、同じ空間にいたのかもしれない。心に、えくぼのある顔に、侮蔑の色を浮かべながら。
「哀れなものだ。一度この世界に身を落としたら最後、自分が躾ける商品にまでこんなものを見られるのですから。見た目が優れているのも、良いことばかりではないようですね」
DVDプレーヤーを指で弾いた粥川が、楽しそうに笑う。春樹は寿司の包みを取り、努めて冷静に粥川を見た。
次のページへ