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第一話・焔 第三章・1


 高岡の答えはやはり、春樹の考えを肯定するものだった。
「盗聴器だ。電話を触られた経緯を簡単に説明しろ」
「家の電話に無言電話がかかってきて……怖がってたときに、携帯に粥川さんから着信があって、助けてって言ってしまったんです。仕事中なのに来てくれて、夜の間は家の電話の音が鳴らないように……設定してくれたんです」
「稲見さん以外の社員と話をしたのか。粥川さんとはそのときが初めてか」
「……違います。塔崎様がこのマンションの下にいて、追い払ってほしくて……会社の携帯にかけました。そのとき出たのが粥川さんです」
「あっさり信用したか。指導のしがいのあることだ」
 春樹は唇を噛んだ。高岡から知らない社員は特に警戒しろと言われていたのに、粥川を少しも疑わなかった。
 電話機の取り扱い説明書を探している間に、盗聴器を仕掛けられていたなんて。悠長に探す春樹を見て、笑って取り付けたに違いない。
 すべてが芝居だった。塔崎の目につくように、春樹の個人情報を書いたメモが落とされた。格好の餌を得た塔崎が春樹の自宅マンションを見張る。春樹はそれを見て、ますます塔崎を忌み嫌う。
 記憶が徐々に鮮明になる。唇を噛む力も強くなる。
 善良な社員を演じる粥川は塔崎を追い払い、雇った男に無言電話をかけさせ、春樹を怯えさせる。すぐに駆け付けて自宅の電話を鳴らないように設定したのは、盗聴器を仕込む好機でもあったからだ。このマンションのセキュリティを気にかけるようなことを言ったのは、三浦に遊ばれた後に春樹を送る際、防犯カメラや管理人を避けるためだったのだ。えくぼのある笑顔に、あっけなく騙された。
 稲見より人間的な社員だと思い込み、路上で殴られる姿を演技だと見抜けなかった。
 粥川は何故、あの場所で殴られたのだろう。春樹は尾行されていたのだろうか。
 違う。
「盗聴器!」
 春樹が高岡を見る。高岡は電話機を元どおりにし、目を伏せた。
「和幸には、この電話からかけたのか」
「かずゆき……」
 聞いたことがある。確か……高岡に手を入れられた次の日、壬がそう名乗った。
「壬さんのことですか」
「そう、だ」
 高岡が電話台の横にある食器棚に手をついた。棚の中の食器が鳴る。
「た、高岡さん。病院に」
 食器棚についた高岡の手に触れたが、振り払われた。
「答えろ。この電話からか」
 春樹はかぶりを振った。振るごとに、頭の中がはっきりしていく。
「携帯です。このリビングの、窓のそばでかけました。『壬さんですか、服を取りにいってもいいですか』って。粥川さんが僕の行動を知ったとしたら、その僕の声を盗聴器で聞いたから……粥川さんは、塔崎様がここを見張っていた日に、僕が壬さんのお店の袋を持っていたのを見ています」
 塔崎が春樹の自宅マンションから離れた後、粥川に自宅まで送られた。春樹が持っていた袋の店名を覚えておき、店や店主である壬について調べた。盗聴器のある部屋で、春樹が壬の名を口にして、服を取りにいくとしゃべる。
 春樹の行動を把握するのは、たやすいことだっただろう。
「ぼ、僕、が少し、気をつけて、れば」唇がぶるぶる震えるばかりで、普通に話せない。
「たかっ、高岡さんは、どうして電話、に。盗聴器が、あ、あるって」
 高岡は一度春樹を見てから窓の外に目をやり、口を開いた。
「和幸からお前の様子がおかしいと電話があった。お前の携帯電話にかけても出ないので、自宅にかけた。部屋に入る直前までかけたが出ない。入ってみるとお前は起きていた。愚行に夢中で電話に出る気はなさそうだったが、自宅の電話に細工されたと考えるには充分すぎる理由だ」
 よどみないが、高岡の声に力がなくなってきている。右手のタオルには赤い点ができていた。
「血が、血がとまってない……早く病院に行かないと」
 春樹の進言など気にしないのか、高岡はダイニングテーブルの端に尻を乗せた。視線は窓の外から離さない。
「あんなの見られたら、と言ったな。誰に何をされた」
「三浦兄弟という男たちに、あてがわれました。顔にマスクのようなものを被せられてレイプされたんです。それを僕の携帯電話で動画撮影されました。最後、顔も撮られたと思います」
「三浦兄弟……」
 低くつぶやいた高岡が、春樹を見た。
「薬物を使われたか。使われたとしたら、どういうものかわかるか」
「ドイツ製の、催淫……剤です。注射で……」
 高岡が再び窓の外を見る。春樹の自殺を阻止したときと同じ、怒りしか知らない動物のような目になった。
「焔持ちに催淫剤か。やってくれたな」
 窓に映る双眸が、夜の闇を気圧すように光っていた。
「見られたくないものを片付けて服を着ろ。重ねて言うが包丁には触れるな」
 高岡の傷を隠すタオルを見た。赤い点が複数になっている。
「早くしろ」
 病院へ行くにしても、この姿では一歩も出られない。春樹は自分の尻にねじ込まれていた紙幣入りのコンドームを探した。キッチンの隅で壬の店の袋が足に当たった。袋の横に追いやられていた醜い代償を手に、寝室に向かう。
 廊下の手前に振り落とした包丁があった。高岡の血で濡れ、部屋の灯りを反射している。
 死ぬために選んだはずの凶器が怖い。猟奇的な光を放ち、春樹を罵っているようだった。


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