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第一話・焔 第二章・4


「僕にとっての晴れの日の食事を、塔崎様にも召し上がってほしかったんです」
「ハルキくん……」
「塔崎様はお立場のある方。明日はお親しい方が、ふさわしいお食事と贈り物で祝われることと思います。僕が同じようにしても、到底かないません」
 春樹は一度深呼吸した。無理に笑顔を作らず、真っ直ぐ塔崎を見る。
「塔崎様は大切な方だから、ここで一緒に過ごしたくて……不躾なことをしました。お許しください」
 深く頭を下げる。塔崎が食器を皿に置き直す音がした。乱暴な響きはない。
 顔を上げた。塔崎の目は濡れて光っていたが、いやらしいものではなかった。
「きみが必要とするものは、力の限り用意します。誕生祝いをこれほど嬉しいと思ったのは、子どものころもそんなにはなかった。望みがあれば言ってください」
 塔崎は小声で話した。この店は繁盛している。隣のテーブルとの間隔も、さほど広くはない。
 春樹を想い、春樹に嫌われないように行動している。欲望を抑えている。
 この好機を利用しない手はない。
「僕は、明るい空の下で塔崎様と過ごすことは許されない身です。よからぬ人に見られたりしたら、会えなくなってしまいます。ですから、どうか必ず社を通してください。僕はどこにも行きません。呼ばれれば、あなたのもとに参ります」
 春樹はテーブルクロスの下に手を入れた。
 白いテーブルクロスは、ふくらはぎの辺りまで充分に隠す。
 周囲の人に感付かれないように、塔崎を驚かさないように、そっと塔崎の膝に触れた。
「お茶をご一緒するときも社を通すと、そうおっしゃってくださったとお聞きしました。塔崎様のお心遣いを知ったうえでの無礼です。僕の弱い心をお許しいただけるのなら、手に触れてください」
「き……み」
「ご迷惑なら、振り払ってください」
 塔崎の目を真正面から見た。
 媚びても誤魔化しても失敗する。それだけは確信があった。
 指先から発せられる熱が近づく。
 春樹は下を向いて目をとじた。
 人の手が、春樹の手の甲に触れた。
 初めて会ったときに散々触られたのでわかっていたが、塔崎の手は男性的ではない。デスクワークをする人の手だ。
 その手が、年長の寛容さをもって春樹の手に重ねられた。
 下心がないはずはない。それでも、塔崎の内側からは誠意がオーラとなって滲み出ていた。
「こんなにドキドキするサプライズは、初めてだよ」
 塔崎は穏やかに笑って手を離した。
「きみは不思議な子だ。自分の生活圏に堂々と僕を招き入れ、祝ってくれた。そして、釘を刺した。覗かれていい気がする子なんていない。わかっていてもしてしまう僕に、守るべき距離感を教えた。忘れがたい方法で」
 春樹は何も言わず、塔崎の膝から手を引いた。
 塔崎が食べかけのタンにナイフを入れる。春樹も同じように、オムライスを口に運んだ。
「どの子も皆、怖がります。僕と真剣に話をすることを。機嫌を損ねてはいけない、融資させねばならないと思うから」
 春樹は自然にうなずいていた。
 声にこそ出さなかったが、塔崎の話を聞き、理解しようとしている姿勢は伝わっているらしい。
 きれいな作法で食べる塔崎が、春樹に笑顔を向ける。
「僕が若い子ばかり指名するのは、容姿の好みからだけじゃない。少しでいい、未来を夢見たいからです。僕には妻も子もありません。事情があっても頑張っている子の夢を聞き、微力ながら支えのひとつになりたかった。欲しいものを問うと、物や現金を欲しがる。それはいい。当然です。中には会話の時間が欲しいと言ってくれる子もいた。でも、実際に真剣を抜いて話したのは、きみが初めてです」
「真……剣……」
「きみは斬り込んできた。銀座でお茶を飲んだとき、必要ない贈り物では僕の心は満たされないと言った。今日も、挑むような目で膝に触れた。この子は真剣だ、誰の力も借りようとしていない。それがわかったから、手を置いたのです」
 べとべとした男の醜悪な皮が、一枚だけ剥がれ落ちた。
 家庭環境に同情したわけではない。
 どんな理由があっても十六歳の少年を買うのは間違っているし、尾行も覗きも許す気はない。
 ただ、一歩もそばに寄ってほしくないという感情は、なくなっていた。
 塔崎が食べ終えた。口もとを拭い、背筋を伸ばして言葉を発した。
「力が必要になったら言ってください。手を置いた以上、約束は守ります。みだりに近づきません。今日は本当にありがとう。今までで一番感動した誕生祝いでした」
 塔崎に勧められ、春樹もすべて食べた。花束を持つ塔崎と共に店を出る。
 稲見が社用車から出てきて、すぐそばに停めたハイヤーに塔崎を案内しようとした。
 何も考えていなかった。
 この地点に来たらそうすると決められていたかのように、塔崎と手をつないだ。
 稲見があんぐりと口を開ける。
「あの……ごめんなさい、最後まで不躾で」
 塔崎が吹き出した。顔にしわを作り、口に片手を当てて笑っている。
 こんなふうに笑える男だったのか。
 春樹は自分から手をつないだ理由もわからないまま、楽しそうに笑う塔崎の顔を見た。
「きみには完敗です。ありがとう」
 つないだ手が離れる。
 離れた塔崎の手が、春樹の頭を撫でた。性的な意味は全く感じられなかった。


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