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第一話・焔 第二章・4
春樹の自宅マンションから在来線で二駅の洋食屋で、春樹と塔崎は対座していた。
『洋食屋?! どこの店……きみの自宅の近く? 何着てくの。制服ね。助かるよ。プレゼントは……花? ああいいよ、店に届けさせ……きみが買うの? 商店街の花屋で?! きみね、いくら何でもまずいよそれは!』
稲見の怒声が頭の中で再現された。
メニュー表がテーブルに置かれた。二冊置かれたメニュー表のうち、一冊だけを広げる。
「一緒に見てもいいですか?」
「あ、ああ、いいよ」
水とおしぼりを脇にどけ、笑顔でメニュー表をめくっていく。
「これもおいしいんですよ」などと言いながら、指が触れるか触れないかの接近を繰り返した。
塔崎はタンシチューを、春樹はオムライスを頼んだ。塔崎は赤い顔で汗を拭いている。
突き出しはリエットで、軽く焼いたフランスパンと一緒に運ばれてきた。
「リエットは僕、好きなんだよ。嬉しいな。ありがとう」
塔崎の好みを稲見に訊きはしなかった。
これは賭けなのだ。
パンの上にペースト状の豚肉を乗せた。塔崎は二枚目のパンに手を伸ばしている。
このリエットは評判がいい。香草と煮た脂身が少ない豚肉を、手作業で粗くつぶす。肉の食感が残るペーストは臭みなどなく、噛む度に甘味が出てくる。大振りな器で出されても、残す客はほとんどいない。
春樹は竹下と共に、何度もこの店に来ていた。
竹下は十代で上京し、祝い事があるとここを利用したと言っていた。
日曜でもランチがあり、今もサラリーマンらしき男性客が次々にドアを開ける。
作り笑顔はここまででいい。
リエットをゆっくり食べながら、春樹は目の前にいる男に集中した。
椅子に深く座っている。好物でリラックスしたのか、春樹と目が合っても汗をかいていない。
春樹は口もとを拭き、居住まいを正した。
「こういうお店で申し訳ありません。僕が無理を言って、ここにしてもらったんです」
「きみが選んでくれたの?」
塔崎の顔が輝いた。春樹は無言でうなずく。
「僕にとっては背伸びしたお店です。入学式とか、特別な日にしか来られません」
嘘ではない。二十席にも満たない洋食屋は、春樹の人生の節目を彩ってきた。
入学式、卒業式、進級祝い。竹下の誕生日を祝ったこともある。
隣の椅子に置いてあった花束を塔崎に手渡した。この店に程近い、昔からある商店街で買ったものだ。
赤と白でまとめられた、小さな花束だった。
「小さくて恥ずかしいんですけど……おめでとうございます」
「ありがとう。きみからこんなにしてもらえるなんて、嬉しいよ」
頼んだ料理が運ばれてきた。運んできたのは若いアルバイト風の店員だ。
平日は店の主人一家が総出で切り盛りしているが、週末は春樹の顔を知らない店員がフロアに出ることが多い。
万が一顔見知りの店員がいても、顔色を変えないように決めていた。言い訳は用意してある。
春樹は制服を着てきた。塔崎は三つ揃えのスーツだ。
学校には外部から招く講師も来校する。そういった講師と親しくなり、誕生日を祝ったと言えばいい。
普通の人なら単なる師弟関係と受け取るだろう。
都心から離れた真昼の洋食屋に、男色に明るい『事情通』がいるとは考え難い。
好きなリエットが胃に入ったことで食欲が増したのか、塔崎はよく食べた。
やはりそれなりの店に行くことが多いのだろう。食べ方は自然できれいだった。
高岡と同じ、食器を自在に使う。特にフォークの使い方がスマートだ。
想定していなかったことだが、春樹も食が進んだ。朝食を少ししか食べなかったせいかもしれない。
気配を察知するのもおぞましい男との食事だ。しかもこちらは祝う立場。
無理に口に押し込んで飲み下す覚悟でいたため、自分の食欲に呆れてしまった。
「おいしいですね。稲見さん、怒ったんじゃない? ここにすると言ったら」
塔崎の顔から、緊張と興奮が消えていた。警戒心もないようだった。
「困らせてしまったみたいです。でも、どうしてもここにお連れしたかったから」
「どうして? ここはきみのマンションからそう遠くな……」
馬脚をあらわすとはこのことだろう。
春樹の自宅マンションの所在地を知っていますよ、と言ったようなものだ。
塔崎は一気に汗をかいた。春樹は忙しくハンカチを動かす塔崎を見ないようにして、口を開いた。
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