Cufflinks

第一話・焔 第二章・4


 数秒間の沈黙があった。何か間違ったのだろうか。鞭の傷に冷や汗が滲む。
「こっち見な、わんちゃん」
 勇次の声に春樹が顔を上げる。おずおずとベッドに上がろうとした。
 ベッドに指先もかけないうちに、左の頬を軽く平手打ちされた。
「おれは『見な』って言ったんだよ」
「ご、ごめんなさ……痛……!」
 勇次に前髪を強くつかまれた。頭皮が剥がされそうなほどだ。目尻に涙の球ができる。
「謝れ、とも言ってないぞ」
 突き飛ばされて床に倒れた。正座して勇次を見る。
「おれはな、タイプは違っても兄貴と同類だ。わかったか?」
「わ……わかりました」
「わかりゃいい。ベッドに上がれ。上がったら仰向き」
「はい」
 冷たい汗がとまらない。胃の痛みも強くなる一方だ。
 キングサイズより大きなベッドの中央に、仰向きになる。勇次が靴を脱ぎ、服を着たまま馬乗りになってきた。鼻唄を歌いながら春樹のバスローブの紐を解く。
「悪くないな。頭が弱くなきゃ、相当売れそうだ」
 厚みのある手の平が肌を這う。勇次の手は熱い。ビールを飲んでいたためなのか、もともとの体温が高いのかわからないが、三浦の冷血な手とは違った。
 勇次の唇が春樹の口を覆った。アルコール臭が強い男とのキスには嫌悪感しかない。
 目をきつくとじて息をとめていると、頬を強くつねられた。
「い、た……」
「酒臭いから嫌だってか? 人間は生臭いもんなんだ。気取るのはやめろ」
「ん! んうう、う」
 唇が重なる。情熱的なキスだった。
 こちらの呼吸や感情に配慮するものではないのに、敵意が感じられない。
「う……んっ……」
 口中から強張りが消える。嫌悪の情はある。それでも、勇次の世界へ誘うキスに体が勝手についていった。
「んく、あ、ふ」
 唇の裏側を舐め、舌を噛み、唇の周りの皮膚も舐め合った。
 呼気にも配慮せず、好きなように呼吸をした。互いに吐く息を吸い、声も出るにまかせた。
 活力に富む男との奔放なキスが長く続いた。快感と気持ち悪さが入り混じる。
 取り繕うことがない行為が終わると、春樹は自分の目が潤むのを感じた。
「可愛いな。一発目は使わずにいきたいところだが、こっちにも商売がある。悪いけど、試させてもらうぜ」
 いつの間に来ていたのか、粥川が春樹の左腕を固定する。二の腕を細いゴムのチューブで縛られた。
「麻薬じゃない。ドイツ製の催淫剤だ。原料は南米産。抜けも早いから心配しなくていい」
「い……いや……!」
 細い注射器を手にした勇次が、春樹を見た。
 勇次の目は笑っていない。頬を強めに叩かれる。悲鳴を出さないよう、息をつめた。
「おれは兄貴と同類だって言ったろ? 痛いのが嫌なら、ちょっとは頭使え」
 勇次は慣れた手つきで注射器を覆うパッケージを破った。
 針のキャップを外し、軽く振って春樹に微笑みかける。
「こういうモノ、必要な奴らに分けてやるのがおれの副業。事故ったことはねえから安心しな」
 嫌だ! という叫び声は、粥川の手でふさがれた。薬液が体内に入ってくる。
 ゴムのチューブが外された。粥川が使用済みの注射器とチューブをトレイに乗せ、リビングから出ていく。
 瞬時に体が熱くなる。全身の皮膚が発熱した。焔の熱さとは違う、未知の現象だ。
 ひたいに分厚い手が触れた。頬や首、胸にも触れられる。性的な触り方ではない。体温を確かめているようだった。
「あったまってきたな。じゃ、勃たせてもらおっか」
 ベッドの上に立ち上がった勇次が、下着ごとジーパンを下ろした。
 要求されていることはわかる。膝立ちになろうと上半身を起こしたとき、「あっ」と声が出てしまった。
 下半身の変化はさほどでもないのに、体の奥が強く疼いている。
 吐息が熱い。膝がシーツに触れるだけで、勇次のものに手を添えるだけで、息が乱れた。


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