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第一話・焔 第二章・4


 自分で洗うという願いは却下された。
 三浦兄弟にはコンドームを使う習慣がない。そのため直腸洗浄が必要だと言われた。
 自分でするからいいと粥川に言ったら、全裸にされて浴室に放り込まれたのだ。
 風体の良くない男に殴られて蹴られたはずだが、粥川は元気だった。
 春樹の頭を殴り、服を脱がせた。下着に手がかけられた春樹が抵抗すると、タオルで春樹の首を絞めた。
 一瞬だったが音が聞こえなくなり、まぶたの裏が見たことのない色になった。
 恐怖に負けた春樹は今、素っ裸で浴槽にいる。目の前には粥川がいる。
 直腸は粥川が洗った。膨らみのある奇妙な形のチューブで、ぬるま湯を注入されては出し、を繰り返した。
 シャワーカーテンを引くことも許されず、壁にもたれて何とか立っている。
「見ていないと僕が叱られます。僕は男には興味がありません。恥ずかしがる必要はない。歯を磨き、失礼のない程度に洗ってください」
 歯磨き粉を乗せた歯ブラシを手渡された。浴槽の中で突っ立って歯を磨く姿は、滑稽で惨めだ。
 体を流し終え、浴槽の外に敷かれたバスマットに足を下ろす。
 バスタオルで体を拭いていた春樹が、恐ろしい気配に気付いた。
 粥川が右手に使い捨ての手袋をはめている。あれにそっくりの手袋を知っている。
 高岡に手を入れられたとき、高岡も自分の右手にあれをしていた。
「嫌……! 助けて!」
 裸で逃げようとした。難なく肩をつかまれ、浴室の壁に背中が当たった。鞭の傷が悲鳴を呼ぶ。
 首を横に振る春樹を見る粥川の目には、動揺も、同情も、何もなかった。
「かっ、粥川さん。やめてください!」
 手袋にローションを垂らす粥川が、春樹を一瞥する。壁に手をつかされた。
 腰が後ろに引かれ、ローションと薄い手袋の感触がした。指が一本入ってくる。
「やめて!! お願いやめて! 手は入れないで!!」
 泣き声になっていた。高岡の自宅の、拷問部屋の風景が頭の中を占領する。
「やめて……やめてください」
 粥川は第二関節あたりまで入った指に重ねるように、もう一本入れてくる。
 落ちた涙が真っ白な床に当たって散った。
「泣かないで。穴が締まってしまう。三浦様は前戯も後片付けもなさらない。すぐにできるようにするだけです。準備もなしに手なんて入れませんよ、大事な商品に。壊れかけの、どこの馬の骨だか知れない子ならともかく」
 初めて粥川の嘲笑を聞いた。恐る恐る、粥川の顔を見る。
「お芝居、だったんですか。わざと殴られて、蹴られたの……? しゃ、借金は」
 はは、と粥川は笑った。二本の指が根元まで埋め込まれた。
「この芝居はね、塔崎様にきみの住所を教えたところが幕開けだよ」
「教え……た……?」
 塔崎が春樹の自宅マンションを覗いていたのは、塔崎が自分で調べたからではないのか?
 電話は? 無言電話に怯えた春樹を、粥川は助けたのではないというのか?
 惣菜を温め、電話が鳴らないように設定したのは……?
「稲見や僕のような社員が休みのとき、代わりを務める社員に、きみらの書類を渡すんだよ。調教師や店の情報は載っていない。僕はきみの個人情報を書き写したメモを、社の近くで落とした。きみの情報が得られないかと塔崎様がうろついていたから、彼の目につくようにね。電話は……もうわかるだろう。今夜僕を殴った連中を雇い、国道沿いの公衆電話からかけさせた」
 春樹の体がびくりと震えた。入れられている指のためではない。
 粥川の指は三本になっていたが、この震えは戦慄によるものだった。
「確かに借金はあった。とんでもない額のね。うちは建設の下請けだ。畑なんかない。親父もぴんぴんしてる。バブルが終わり、どうにもならなくなったうちを救ったのが三浦様だ。消えるリゾート開発も多い中、三浦様は違った。地力のあるお方だ。首を吊りかけた両親を救ってくださった。この大恩に報いるためなら、僕は他人のケツも洗うし、騙しもする」
「うッ!」
 大人の男の指三本はきつい。性的な動作で触るわけでもないので、春樹のひたいには汗が滲んだ。
「恩があるからって、こんなことして……僕が黙っているわけ、ないでしょう」
 自分の指を入れたまま、粥川は左手を壁についた。えくぼのある顔で春樹を見る。
「新田修一という、仲の良い子がいるんだね」
 春樹は粥川を凝視した。唇がわななく。
「さすがにわかるか。ケツ掘られて脳まで膿んでるかと思ったが。そう、きみさえ言動に注意すれば、何も危険なことは起きない。三浦様は若い男がお好きだ。安全に、清潔に遊ぶことを好まれる。きみのような契約社員は好都合なんだよ。まさかこんなに早く釣れるとは、思っていなかったけどね」
 粥川は指を動かさない。三本入れた状態で口笛を吹き始める。
「これ……これからも、三浦、様と……?」
「三浦様のお気に召せばね。勇次様は食指が動かれたようだから、可愛く鳴けば次をお望みになるかもしれない」
 後ろの穴から指が抜かれた。バスローブがかけられる。
「ど、どうしてこんな方法を? 三浦様と取引のある会社には、男娼はいないんですか?」
 服装を整える粥川が、やれやれという表情をした。
「とことん鈍いね、きみは。いるよ。いなくても、他社の子を又貸しすればいい。以前はそうしていた。三浦様のプレイは特殊ではないが、優しくない。嫌がる子が増えたんだよ。何かと理由をつけて指名を断るようになった。生意気にもね。さあ行こう。時間が経って痛い思いをするのは、きみだよ?」
 春樹は口を閉じられないまま、粥川に腕を引かれて廊下を歩いた。
 切り抜けなければならない。
 騙された春樹が悪いのだ。粥川のえくぼに心を許した。
 三浦兄弟のためなら、粥川は人を雇って殴られる。殴られて蹴られて、汚い路地裏で痛みに耐える。
 誰にでも尻尾を振る、春樹の愚かさが招いたことだ。自分から罠にかかったようなものだ。
 リビングに入った。段の上にある巨大なベッドの上に、三浦勇次があぐらをかいている。床から天井まである窓には、カーテンもブラインドも下りていない。
 その窓にもたれるのは、兄の三浦勇一だった。腕組みをして弟を見ている。
「なあ兄貴、いいだろ。たまには先に食わせてくれよ。試したいものもあるし」
「何を使おうが構わんが、意識は残しておけ。人形を打つのはつまらん」
「わかってるって。わんちゃん、おいで! 遊ぼうぜ!」
 粥川の手が肩にかかった。
「ベッドに上がる前に、正座してご挨拶を。勇次様には可愛がってくださいと、勇一様には叱ってくださいと言いなさい。おふたりとも、呼び方は三浦様でいい」
 耳もとで粥川にささやかれた。春樹は一歩、二歩とベッドに近づく。
 水を用意することなど不可能だ。焔がやってくるような快感があれば、ましなのかもしれない。
 兄にはおそらく鞭で打たれるだろう。弟には何をされるのかわからない。
 逃げ出したい。時間を戻したい。男の体など知らなかった先月まで。
 用具倉庫で新田と出会い、胸がつかまれたと感じた日まで。
(これに耐えれば、修一は何もされない)
 わずか数段の階段を上がり、ベッドの脇に立った。すぐに正座する。
 頭が床につきそうなほどに下げ、感情を殺した。

「三浦様。僕を可愛がってください」


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