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第一話・焔 第二章・4


 春樹と粥川が乗ったタクシーは、地下駐車場へ入っていった。
 都心にあるマンションの駐車場で、高岡が住むところより地下へのスロープが長い。
『三浦様とおっしゃる方で……当社とはあまりお取引がない方です。ご兄弟で遊ばれることが多い。お優しい方ではありません。やはりやめましょう』
 三浦という男が遊び相手を探している、という話だった。
 スーパーの駐輪場で粥川は、何度もやめようと言った。渋る粥川に、春樹はかぶりを振ってこう言った。
『粥川さんがいてくれるんですよね? それならやります。お礼がしたいんです』
 三浦家は、粥川が学生だったころに世話になった家とのことだった。
 兄はリゾート開発、弟は化粧品の輸入代行業を担っている。三浦の名前は知らなかったが、会社はふたつとも聞いたことがあった。兄弟の生家は長く続く名家で、両親も兄弟も金には困らない暮らしぶりらしい。
 このマンションには、三浦の別邸のひとつであるペントハウスがあるという。
 タクシーが駐車場の最奥で春樹と粥川を降ろした後、粥川は自分の腕時計を見た。
 時計から春樹に目を移し、一層申し訳なさそうな顔になる。
「今ならなかったことにできます……あなたは帰ってください」
「帰りません。僕が今夜一晩三浦様の自由になれば、一番大きな借金、返せるんですよね。汚い遊び方も、なさらない方なんですよね?」
「お相手は充分吟味なさいます。街の子は買われません」
 駐車場のスロープでタイヤの鳴る音がした。
「おみえになりました。兄の三浦勇一(みうらゆういち)様です」
 他の駐車スペースから少し離れた場所に、車高の低い外車が入ってきた。
 高岡の車と同じ左ハンドルだが、ツードアだった。よりスポーツタイプに見える。
 運転席側の窓が下げられた。痩せ気味の男の顔が見える。
「粥川。ここに」
 深い礼の直後、粥川が春樹の二の腕をとった。少し痛い。粥川も緊張しているためだろう。
 三浦勇一は、フレームのない眼鏡をかけていた。頬骨が高く無駄な肉が一切ない。
 切れ長ではないが一重まぶたの目は吊り上がっており、じっと見られると目をそらしたくなる。
 優しくないということは、高岡と同じ人種なのだろうか。
 眼鏡で眼光はわからないが、感情のつかめない目だった。
「これがドル箱候補生か? そうは見えんが」
 三浦の声は、ざらざらしていた。塔崎のべとついた声とは違う醜さがある。
「佐伯も塔崎も高く評価しています。塔崎にいたっては、噴飯ものです」
 春樹は口を開けて粥川を見た。
 二の腕をつかんでいる手から、今まで感じていた優しさが伝わってこない。
「名門の持ち主か」
「上手く取り入る秘訣を心得ているようです。織田沼の別腹の子が躾けていますので」
 別腹の子。愛人の子。高岡が春樹と同じ、愛人の子────
 そうではないかと思ってはいた。高岡の両親は姓が違う。父親と一緒に暮らしたこともなさそうだ。
 だがベップクという言葉には、情が含まれない響きがあった。
 あざけりや侮蔑とは違う。それ以前の、人として見ていない言葉に思えた。
「織田沼の……? ああ、高岡……彰か。あれはたまに名を聞くな」
 三浦がシートベルトを外した。車外に出てくる。
 立ち上がった三浦勇一は背が高かった。高岡より少し高い。須堂と同じくらいかもしれない。
 痩せているためか威圧感はないが、冷気が全身を包んでいるような男だった。
 三浦の手が春樹の頬に触れた。しっとりとした、冷たい手だ。顔と同様、手の肉も薄い。
 本能が逃げろと言った。この男は危ない。体を預けてはだめだ。
 足が全然動かない。爬虫類に似た三浦のオーラに、体が絡め取られてしまった。
 この男とは種が違う。絶対に相容れない予感しかしない。
「勇次を連れてこい」
「かしこまりました」
 三浦の車に粥川が乗り込む。春樹と目が合っても粥川の目は泳がない。
 上げかけた窓を一度とめ、粥川が春樹に話しかけてきた。頬にはえくぼがあった。
「三浦様のおっしゃるとおりにすれば、大ケガはしませんよ」
 車が発進した。弾かれたように追おうとした春樹を、三浦の声が動けなくさせた。
「仔犬で遊ぶのは久しぶりだ。愚弟が気に入りそうな、幼い顔をしている」
 疑問だけだった頭の中に、恐怖が入り込む余地ができた。
 三浦の冷えた手がうなじをつかむ。
 自分の中の逃げろという叫び声を聞きながら、春樹はエレベーターホールへ連れていかれた。


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