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第一話・焔 第二章・4


 学習机の周囲が薄暗くなった。机の隅に置いた時計は、七時前を表していた。
 春樹はスタンドライトをつけた。教科書の簡易版である授業ノートをめくり、溜め息をつく。
 公式を書き写しただけのノートを見ても、何も思うところがない。
 問題集で間違った問題に取り組んでも、巻末にある模範解答を見るから解けるようになるだけだ。
 この問題をこの公式で考える理由がわからない。
(修一は、どうやって勉強するんだろう)
 みぞおちが痛んだ。
 春樹が新田を受け入れていれば、リビングで新田と教科書を広げていた。
 初歩的な質問をする春樹に、新田は優しく教えてくれただろう。
 食事も一緒にするつもりだった。楽しくて有意義な時間を過ごせるはずだったのだ。
 新田が春樹を本気で求めることは、予想していた。
 いつ求められてもいいように、今朝早く入浴し、新田が来る三十分前にはシャワーも浴びた。
 下着も新品をおろした。焔に巻かれても正気が保てるよう、水を寝室に持ち込むタイミングも考えていた。
 春樹はライトを消した。ノートも教科書も閉じる。机の上に顔を伏せる。ベッドが視界に入った。
 泣き疲れた状態で整えたベッドは、何事もなかったように見える。
 新田が持ってきてくれたフウリンソウの花瓶は、塔崎の花と一緒に和室に置いた。
 花瓶はすべて、ふすまを閉めれば目に入らなくなる空間に閉じ込めたのだ。
 顔の下にある右手に、新田を突き飛ばした感触が残っている。
 高岡に教えられた最低限の拒絶を、客より先に新田に向けるなんて。
 あのまま春樹が中途半端な抵抗を続けていたら、新田は暴走していたかもしれない。
 肉体はともかく、心がついていかない春樹を犯すという結果を招いたら、本当に傷付くのは新田だ。
 新田は十七歳だ。普通の高校生だ。
 怖がる春樹を思わず押さえ付けたのも、抵抗した春樹の口をふさいだのも、時間をおけば理解できる。
 春樹が伊勢原の幻影に怯えたのと同じように、新田も恐れたのだ。
 一歩だけ踏み込んだ、非日常の世界に。
 勉強道具を片付けた。パジャマを用意して浴室に向かう。まだ七時をまわったばかりだが、眠ることにする。
 今日のことで、頭は完全にオーバーヒートした。
 新田への言葉も勉強への意欲も、冷静にならないと生まれないと思った。


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