Cufflinks

第一話・焔 第二章・3


「開けてください」
「はい……あ、これ」
 今回の贈り物は、小銭入れ兼用のキーケースだった。
 春樹は昨夜塔崎と寝た際、添い寝の真似ごとをさせられた。
 ベッドの中で短い雑談をするだけだったが、塔崎はベッドに薄いカタログを持ち込んだ。クレジットカードの会員に送られるものとのことだったが、掲載されている商品は、どれも高価な海外ブランドのものばかりだった。
 どういうものが好きかと訊かれ、春樹はこのキーケースを指差したのだ。
 三万円を少し切る、カジュアルなデザインのものだった。
 塔崎は昨夜も今と同じビジネスバッグを持っており、ネクタイも同じブランドだった。塔崎が好きなブランドだと判断し、そのブランドの商品で少しは身近に感じられるデザインのものを指しただけだった。
 何かの機会に贈られるのかもしれないとは思ったが、昨日の今日だとは思いもしなかった。
「あ、あの、困ります。仕事もしていないのに、いただけません」
 二十万円の小遣いと、両手で抱える必要がある花束、さらに三万円弱のキーケース。
 それらが二日間で手に入るのは怖かった。
 一杯千二百円のコーヒーを飲む塔崎にとっては何でもない支出なのかもしれないが、考える時間が欲しい。
 塔崎が身を乗り出してきた。
「どうしてもきみに会いたくて、学校の近くまで行ってしまいました。もうしないから、許してください」
「あ……いえ……は、はい」
「稲見さんから、きみが花束を持ち帰ってくれたと伺いました。僕は天にも昇る心地でした。昨夜から、きみが忘れられないのです。もう、居ても立ってもいられなくて……これを買ったら、気がついたらタクシーを拾っていました。大したものじゃないから、受け取ってくれませんか……? 気に入らなければ、売っていいから」
 春樹の腹の底が熱くなった。
 売る? 処分してもいい、の次は、売っていいときた。
 小さなキーケースの価格は、学生食堂で使う食券の十綴り分だ。
 瀬田は大きな体を縮こませて、金が足りないと言った。十綴り分の食券のためにどれだけの時間をトンカツ屋で働くのかはわからない。わからないし、瀬田を一度は踏みにじったのは春樹だ。春樹に何も言う資格はない。
 満足できる返事がもらえると思っているのだろう。塔崎は微笑みをたたえ、汗も拭いていない。
 理性を感情がやり込めた。掌底の代わりに、言葉を突き出してしまった。
「申し訳ありませんが、いただくことはできません」
 塔崎が色を失った。真っ青というより、紙に似た白い顔だ。
 春樹は薄い半透明の不織布でキーケースを軽く包む。箱に蓋をして、テーブルの中央に押し戻した。
「不躾なことを申し上げます。僕は正規の報酬を社から受け取っています。僕との時間が必要になられたら、社を通していただくだけでいいのです。贈り物をいただいてもいただかなくても、今の僕にできる、精一杯のことを致します。処分しても、売ってもいい贈り物なら、どうかなさらないでください。あなたのお心がそれで満たされるとは、とても思えません」
 クラシック音楽が店内を舞った。
 塔崎と春樹の周囲だけ、空気がぴくりとも動かない。
 春樹は我に返った。
(何を言った……? 僕は今、社のメインバンク関係者に向かって、何を)

  金で買った少年に、さらにプレゼントか。哀れな男だな。

 春樹が言ったことは、要はそういうことだ。
「ご、ごっ、ごめんなさいっ!」
 春樹はテーブルにひたいを打ち付けそうな勢いで、上半身を折った。
 これはだめだ。ミスという次元ではない。人の尊厳に関わる。
 相手が誰であっても、こんな傷付け方をしてはいけない。
「きみはやはり、僕の理想だ。こんな出会いがあるなんて……顔を上げてください」
 塔崎の意外な言葉に、春樹はゆっくりと顔を上げた。
 何か言おうと思うのだが、言葉が思い浮かばない。
「あ、あの、その、ごめんなさ」
「謝らないで。正しいのはきみなのだから」
 箱から出された小さくて黒いキーケースが、裸の状態でミルクティーの横に並ぶ。
「僕の心を気にかけてくれる子なんて、ひとりもいなかった。何て優しい子なんだ。それでいて、高貴な自尊心を持っている。これはきみのために買いました。使ってください。売らずに、飽きるまで使ってください」
「は……い。ありがとう、ございます」


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