Cufflinks
第一話・焔 第二章・3
五時限目の授業が終わり、ロッカーを開けたら携帯電話が振動していた。
携帯電話を持って廊下の隅に行く。自宅からの着信だった。
「竹下さん? どうしたの?」
電話の向こうが一瞬無言になり、竹下の小さな声がした。
「こんなことでお電話してごめんなさい。お花があったので、何かあったのかと思いまして……」
「ああ、あれ。昨日学校の帰りに花屋で見て、きれいだったから買っちゃった。どこに飾ればいいか迷っちゃって、そのままにしてきてごめんね」
春樹は今朝、高岡が生けた四つの花瓶をシンクの中に置いてきた。
泣いて腫れたまぶたを冷やしたりしているうちに、花を飾る時間がなくなったのだ。
「そうだったんですか。でも、あんなにたくさんですと、その」
「値段が高い、ってことでしょ。心配しないで。無理はしてないから。園芸クラブにいるからか、花もいいなって思うようになって。鉢植えと迷ったんだけど、あの花にしちゃったんだ。お仕事増やしてごめんなさい」
シミュレーションしておいたセリフを、明るい調子で言った。心臓は破裂しそうだ。
「そんなこと、気になさらないでください。きれいなお花です。お部屋が明るくなりますよ」
竹下との通話を終えた春樹は、大きな溜め息をついた。
何かあったときに電話をしてもらえるよう、竹下には休み時間を伝えてある。時間割の表も渡してあった。
出勤してきた竹下が大量の花を見て、不安に思って電話してきたのだ。
予想していたとはいえ、今の受け答えは緊張を強いられた。
花束だとわかると厄介だと思い、春樹は包装物をすべて最寄り駅のゴミ箱に捨てた。
完全に捨てたか、リボンか何かを落としていないかと、通話中に記憶をたどった。
何よりも二十万円の現金が入った封筒がちらつき、口の中がからからになった。
学習机の鍵付きの引き出しに隠したのだが、二十万円用の言い訳は用意できていない。
こんなに心臓に悪いなら、高岡の言うとおり花など持ち帰らなければいいのかもしれない。
もしもまた塔崎から花を贈られたら、捨ててこようか…………。
それはできない。花瓶の花たちは、今朝もみずみずしかった。かすかに香って、まだ生きているぞと主張していた。
新田が好きな植物と同じだ。花に罪はない。
待ち受け画面のシバザクラが目に入った。今朝、この小さくて強い花は、春樹に勇気を与えてくれなかった。
新田の名を呼ぶはずの心が、揺れたままになっている。
春樹は携帯電話のメニューボタンを押し、待ち受け画面を初期のものに戻した。
下校する前に校庭の花の様子を見ようとしたら、新田からメールが入った。
『今日は補習で忙しいけど、明日、一緒に勉強しないか?』
春樹は用具倉庫の前で足をとめた。
「修一……」
了承の返信はすんなりできた。一度も打ち直すことなく、新田への返信としては自己新記録の速さだった。
あまりに速く打つことができて、春樹は戸惑った。
新田に初めてメールをしたとき、一時間以上も書いては消して、を繰り返した。それから今まで、時間と労力は新田とのメールには付き物だった。もちろん、楽しい作業だ。いつもわくわくして打っていた。
体はわくわくしている。キスの感覚がよみがえり、唇が震えた。頬も熱い。
それでは、この黒いモヤは何だろう。
今朝からずっと胸の中にある。高岡と焔へのいきどおりかと思っていたが、違うようだ。
呼吸をすると胸と腹の間に空気の塊が引っかかる感じがして、今日は深呼吸を何度もしている。
春樹は花を見るのをやめた。適度に雨が降っている日だ。気温もそれほど高くない。
朝に新田が考えて手入れをしているのだから、春樹が手を出すことはない。
空を見上げた。午後から雨は降っていないが、はっきりしない雲行きだった。
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