Cufflinks
第一話・焔 第二章・3
粥川に電話をかけてから十分後、塔崎が肩からかけていたショルダーバッグを覗いた。
携帯電話を取り出している。両手で電話を持ち、周りを落ち着きなく見ながら話している。
着信があり、受け答えしているようだった。
小さな電話機をしまうと、塔崎は春樹の部屋の辺りを見上げた。
そして周囲を気にしながら、春樹の自宅マンションから離れていった。
春樹はコンビニの店内から塔崎を目で追った。通りに出た塔崎が片手を上げる。
塔崎の前にタクシーがとまった。塔崎を乗せたタクシーは、大通りに向かって走っていった。
「助かった……」
春樹は大きく息をつき、コンビニから出た。
少し歩くと、背後から軽くクラクションが鳴らされた。
見覚えのある社用車が路肩に寄り、停車した。運転席から男がひとり出てくる。
「丹羽春樹さんですか? 粥川です。徒歩で申し訳ありませんが、お送りします」
「え、でも、自宅は目と鼻の先ですから……」
「あなたはひとりの人であり、大切な契約社員です。安全は守られるべきです。送らせていただきます」
「ひとりの……人……」
粥川は車道側を歩いた。自転車とすれ違うときも、春樹を手で守った。
マンションのエントランスの手前で、粥川は礼をして「失礼します」と言った。
「待ってください。あの、よかったら、上がってお茶でも」
「オフの日に僕のような者がお邪魔しても、何もいいことはありませんよ。それでは」
背を向ける粥川の袖口を、春樹は両手でつかんだ。
「ま、待って。お礼をさせてください」
「特別な謝礼はいただかないように言われています。当然のことをしたまでですから、気になさらないでください」
「あの、それなら……教えてください。どうして塔崎様は急に帰られたんですか? どうして僕の自宅を……?」
粥川はエントランスとは反対側の、細い通りの端に移動した。その間も自転車や車の行き来に気を配った。
歩道を示す白線の内側に立つと、近くに人がいないことを確認して小声で話した。
「塔崎様は以前にもこういうことをされました。ただ眺めるだけで、危険なことはなさらないのですが……。人の目もありますし、兆候があれば連絡するようにと、塔崎様のお身内の方から社も言われています。社からお身内の方にご連絡を差し上げたのです。あなたもご存知のように、財力のある方です。これと思った人のことは、お調べになるのですよ。これであなたの自宅周辺には現れないと思いますが、もしもまたこのようなことがありましたら、すぐに教えてください。今日は驚かれたことでしょう。早く休まれたほうがいいですよ」
粥川は再び、丁寧な物腰で春樹をエントランスまで送り届けた。
客のほうが力があるのだからお前は黙っていろ、などとは言わなかったし、客の恥部も明かした。
稲見より少し若そうに見えるが、粥川には十六歳の男娼を見下げる態度が一切ない。
これからは粥川が送迎してくれないだろうか。稲見にはずっと休んでいてもらいたい。
仕事で感じる嫌悪感も、粥川の送迎なら少しは紛れるかもしれない。
道路に面した自動扉の前で、春樹は粥川を見上げた。
車道に注意を向けていた粥川が春樹の視線に気付き、困ったような笑顔を見せる。
「どうかされましたか?」
「あ……の、お茶、やっぱり……だめですか?」
「申し訳ありませんが。しかし、あなたの気が済まないのもわかります。どうでしょう、あなたがエレベーターに乗るまで、僕がここで見ています。それで許していただけないでしょうか」
エントランスに入った春樹は、振り返って粥川に深く礼をした。
粥川に流れる血が、あたたかいものかどうか。困ったような笑顔の裏も、善良なのか。
春樹にとって、そんな疑問は存在すらしないものだった。
< 第二章・4へ続く >
【 あとがき 】
読んでいただき、ありがとうございました!
続きは第2章・4のupまでお待ちください。
またまた予定より1日遅れのupです。
遊びほうけてしまいました。すみません。
新田と春樹はいつになったら合体できるのでしょう。
次回はちょっと大きな出来事が起きます。
「ちょっと」「大きな」ってナンじゃい!(笑)
私は仕事の関係で偶数月が忙しいので、
今から早めの入力をすることにいたします。
小説目次へ