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第一話・焔 第二章・3


 自宅マンションが見える、小さな交差点に差しかかったときだった。
「うそっ! 塔崎……?!」
 マンションのエントランスの手前に、塔崎がいた。
 屋外灯のすぐ下、植え込みの端から、べとべとした気を放っている。
 低い背をさらに縮こめ、春樹の部屋の辺りをうかがっていた。
「あの変態……! 冗談じゃない」
 春樹は交差点の信号を渡らずに引き返した。自宅から一番近いコンビニに入る。
 塔崎の姿が何とか目視できる場所に移動し、携帯電話を出した。
 どうやって春樹の自宅を知ったのだろう。昨日は、自宅まではつけられなかった。
 銀座で高岡が芝居さながらの大声を出してからは、あきらめたように思ったのだが。
(これも高岡がちゃんと送らないからだ。あいつのせいだ。何もかも)
 見当違いの怒りだとはわかっている。どうしてか顔が熱い。
 壬の店を出たときから、ずっとこうだった。
 高岡という名前を考えるだけで、顔に火がついたようになるのだ。
 春樹は「T」の番号を表示させた。通話ボタンを押そうとしたとき、伊勢原の一件が頭をよぎった。
 薄汚れたカーペットに転がっていた春樹を、高岡は頭が弱いと叱責し、病院への同行を拒否しただけで平手打ちをした。伊勢原の暴力で怪我をした頬を、平気で叩いたのだ。
 あんな男の名前で顔が熱くなるのは、やはり怒りのためだ。そうに違いない。
 あの男に助けを求めても、また叱責されるに決まっている。
「えっと……じゃあ……」
 昨夜、自宅に稲見から電話があった。あの電話で教えられた稲見の社用携帯番号は、念のために春樹の携帯電話にも登録しておいた。「会社携帯」とした番号を「T」の代わりに表示する。

 『誰も無条件に信用するな。社員に関しても同じだ』

 春樹のケアを手厚くしたいと言ったのは会社だ。ストーカー客を追い払うくらい、頼んでも罰は当たらないだろう。
 それに社員なら、簡単に春樹を叩いたりしない。
 会社携帯の番号を表示させたまま、春樹は外に出た。コンビニの外壁に隠れて通話ボタンを押す。
 数回の呼び出し音の後に聞こえたのは、稲見の声ではなかった。
「粥川です」
「……カユカワ、さん……?」
 電話の向こうで、かすかにラジオのニュースのような音がする。車のラジオかもしれない。
 車に乗っているなら、すぐに来てくれるだろうか。
「もしかして、丹羽春樹さん……ですか」
 春樹を知っている。
 社用の携帯電話なのだから、稲見の同僚────汚れ仕事仲間が出てもおかしくはない。
「稲見は休暇をとっています。あなたが丹羽さんなら、何でも伺うように言われています。どうかされましたか?」

 『知らない社員は特に警戒しろ』

 自宅マンションを見てみた。まだ塔崎がいる。春樹は電話機を手で覆って話した。
「あ、あの、丹羽春樹です。お客様が自宅の前に……いるんです」
 人を犬呼ばわりするSMクラブ経営者よりも、さん付けで話す社員を信用することにした。
 とにかく今は塔崎を遠ざけてほしい。
 春樹は粥川の指示に返答し、何度もうなずいた。


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