Cufflinks
第一話・焔 第二章・3
「修一」
「ごめん、春樹。いい人ぶるの、もう無理だ」
花瓶を学習机に置いた新田が、春樹を抱きしめた。ベッドに押し倒される。
「我慢できない。お……お前が、欲しい」
春樹に戦慄が走った。新田の望みは、今の春樹には痛いほどわかる。
一線を越えたいのだ。
「ま、待って。お願い待って!」
「無理だ、待てない。優しくするから、頼む……!」
「だめ、だ、めっ」
頭を抱え込むように抱きつかれ、息がつまった。新田は荒い呼吸をしながら自分の下を脱いでいく。
下着だけになった新田の股間が春樹の膝上に当たり、春樹は目を開いた。
張りつめている。今までに触れてきた中で、一番大きく怒張していた。
「だ、だめ。怖い。お、お、お風呂にも、入らないと」
「そんなのいい。お前のことばかり考えて、おかしくなりそうなんだ」
新田が自分のジーパンから取り出したものを見て、春樹は小さく声をあげた。
コンドームの包みだった。
「潤滑剤が塗ってあるって、書いてあった。痛くしないから……」
新田が自分でコンドームを買った。どんなに恥ずかしかっただろう。
スーツのジャケットからコンドームの綴りを出し、お前が持っていろと言う高岡などとは、まるで違う。
これが普通の愛情だ。恋をしている人の、当たり前のためらいだ。
新田は息を乱しながら下着を下ろした。慣れない手つきでコンドームを装着する。
この真面目な男は、知るはずもない。男同士でつながるためには、薄いゴム製品の表面にある潤滑剤だけでは足りないと。受け入れる側にも準備が必要なのだと。
「本気なんだ。毎晩、夢にお前が出てきて……春樹……!」
春樹の喉には、先ほどからひとつの言葉がしがみついている。
修一のものにして。
夢に新田が出てくるのは、春樹も同じだ。新田とひとつになれる日を想い、背中がぞくりとすることが何度もあった。
フウリンソウに合わせたのか、今日の新田はブルーに白のチェック柄のシャツだった。
新田の私服で襟付きのものは初めて見る。軽い気持ちではないという、何よりの証拠に思えた。
いつも春樹を気遣い、優しく触れた新田が、本能のままに求めている。部屋のカーテンも閉めない。
新田の真っ直ぐな熱が伝わってくるからこそ、受け入れるつもりだった。
新田との痛みなら耐えてみせると、決めていたはずだった。
苦痛が怖いのではない。焔に操られることは怖いが、この躊躇の原因がわからない。
新田は全裸になっていた。陽の光を受けて輝く髪も、引き締まった肉体も、欲望と戸惑いが共存する表情も、すべてが欲しかったものだ。
言葉の出なくなった春樹に、新田が静かに体を重ねた。首筋に新田の唇が触れる。
「愛してる……」
新田の声がかすれていた。
このまま目を閉じればいい。目を閉じて体の力を抜き、ありのままを感じればいいだけだ。
今までにもしてきた。男との行為は、これが初めてではない。
新田の手が春樹のシャツにかかる。ボタンを数個外し、震える春樹の肩を撫でた。
「怖いか……?」
大丈夫と言うはずが、違う言葉が放出された。
「だめ……! できない! ごめんなさい許して、できないよ……!」
春樹は新田の胸を手で押した。新田は少しだけびくりとしたが、強い力が反発してきた。
「わかってくれ春樹。好きなんだ、本当に……っ」
新田が春樹の体を押さえ付けた。全身を使って春樹を動けないようにする。
今までになかった強い力に、春樹の顔から血の気が引いた。伊勢原に殴られた恐怖がよみがえる。
「い、いや! お願い修一、押さえ付けない、で……ううっ!」
新田の大きな手が春樹の口をふさいだ。激しくかぶりを振る春樹に、馬乗りになってくる。
「うう、う!」
春樹は新田の胸の上部、鎖骨のすぐ下を見た。そこから目を離さずに、右手を一気に突き出す。
手の平の厚い部分が新田の胸もとに強く当たった。
仰向けにはならなかったが、横座りに似た姿勢で新田がベッドに手をついた。
「はる……」
春樹の名の代わりに、新田の口から連続した咳が出た。
「嫌だよこんなの……こん、な」
春樹は身を起こし、膝を抱えた。ひたいを膝につける。きつく、きつく目を閉じた。
今は新田を見たくない。
「ごめん、春樹……本当に……取り返しのつかないことをした。どうやって謝ったらいい……」
自由にできなかったから春樹を嫌いになるような、新田はそんな男ではない。
春樹の仕事を知った新田に去られることはあるとしても、こんな別れ方は考えられなかった。
新田と離れるときは、春樹が新田に詫びるときだ。それ以外はない。
「取り返し……つかないなんて、そんなふうに、言わないで」
新田が服を着る音がする。しゃくり上げないように、春樹は唇を噛んだ。
「悪かった……今日は帰ることを許してくれるか……?」
春樹がうなずくと、寝室の扉が開く音がした。
「心から謝る。このまま逃げるようなことはしない。約束する」
玄関ドアが閉まる。春樹はベッドに突っ伏して、声をあげて泣いた。
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