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第一話・焔 第二章・2
伊勢原の暴力に屈した体を、笙子の玉子粥が優しくいたわった。
知り合って間もない少女と向かい合って食事をすることは、春樹にとって初めてだった。
最初こそ緊張で喉を通りにくかったが、粥はおいしく、すぐにたいらげた。
笙子は自分のことをほとんど話さなかった。
高岡の父の姓である織田沼を名乗り、織田沼の血筋の者の家に住んでいると言った。
療養中ではないが高校には進学しなかった、とも言った。
その暮らしは楽しいものなのか、春樹にはよくわからなかった。
春樹は学校が好きだ。勉強さえなければ、あんなに楽しいところはないと思う。
新田と花の手入れをしたり掃除をしたり、森本たちとふざけ合う日々を手放したくはない。
ただ生きるためだけに体を売るのなら、いつか逃げ出していたと思う。
春樹は笙子に訊かれるまま、学校生活の楽しい面を話した。
笙子が自分のことを言わないので間がもたないのもあったが、笙子の笑顔を見るのは悪くなかった。
「楽しかった。ハルキはお話が上手だね。お皿洗ったら、横になってもいい?」
笙子の皿洗いは阻止した。陶器のような手を荒れさせたりしたら、高岡に鞭で打たれそうだ。
春樹が皿を洗う間に、笙子はソファで横になった。慌てて水をとめる。
「ちょ、ちょっと待って。そんなとこで寝たら僕が叱られる。えー、えっと、和室に布団敷くから、ちょっと待ってて」
この部屋には、春樹の寝室の他にもうひと部屋和室の個室があった。
押入れの中にある布団はカビ臭くもないし湿ってもいないが、定期的に干すわけではない。
どこに寝せてもいけない気がする。高岡が春樹の頭の中で鞭を構えていた。
「ど、ど、どうしよう。笙子さん。もうちょっと起きてて」
掛け布団だけを抱えてうろうろする春樹に構うことなく、笙子は眠りかけていた。
「しょ、笙子さん。お願いだから、まだ寝ないで」
春樹は笙子の体に触れないように掛け布団をかけた。
声をかけても恐る恐る揺すってみても、笙子は起きようとしない。
灯りが嫌なのか、自分で頭から布団を被った。
春樹は一度寝室に入って部屋着になった。毛布を持ち、リビングに戻る。
敷き布団を笙子から少し離れたところに敷いた。洗い物は放棄した。
体を揺すっても起きない笙子だ。食器や水道の音で起きるとも思えないが、緊張の糸が切れてしまった。
まだ九時を回ったばかりであったが、春樹はリビングのフロアライトだけを残して消灯した。
笙子が布団を被っているのを確認し、背を向けて横になる。
寝室で眠るのも、明け方まで寝ずの番をするのも、何をしても高岡の怒りを買いそうだ。
笙子の気配がわかるところで、笙子を見ないように眠るしかないと思った。
一度、嗅ぎ慣れた香りがしたようだった。
春樹が目をあけたのは、リビングが明るくなってからだった。
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