Cufflinks

第一話・焔 第二章・2


 翌朝一番にしたことは、取り込んだ新聞の日付を見ることだった。
 廊下を歩きながら、かすむ目をこすって紙面の端を見る。
 一度大きくよろけて壁に肩がぶつかった。息をつき、目をとじる。
 体はさすがに重かった。穴の入り口が熱をもっている。出血はしていない。
 飛び上がるほど痛いところはなかったが、腹の下、奥の方に不快な痛みがあった。
「あいつの……せいだ」
 学業優先が契約の条件だなどと善人ぶっておいて、高岡はレイプ同然のセックスを強要した。
 木曜の夜に。金曜に学校があると知りながら。
 春樹はダイニングテーブルに新聞を置き、一面から読んでいった。大きな事件の見出しやコラム、ひとコマ漫画、経済、株式欄。経済紙もざっと目を通し、全国紙との共通記事を簡単に追う。読むというより眺める程度なので右から左に抜けていきそうだが、まずは新聞を見ることを習慣にしなくてはならない。
 リビングの時計を見た。まだ六時半だ。今から支度をすれば、朝の校庭掃除は充分に手伝える。
 支度に取りかかるのはやめた。無理をして校内で倒れたら新田を不安がらせてしまう。
 ノートのコピーなどで森本にも迷惑をかける。

 『お前は高校に通って勉強をし、新田と恋をする。この仕事を隠しながらだ』

 春樹は虚空を睨んだ。テーブルから新聞を叩き落す。
 昨夜、春樹は焔の本当の怖さを知った。
 金属を熔かす溶鉱炉が────地獄の入り口が実在しているようだった。
 怖かった。高岡に手を入れられたときよりも。伊勢原に殴られたときよりも。
 あれに突き落とされてしまったら、目が覚めても日付すらわからなくなる。
 悪い客についたときに落ちたらと考えると、背中が寒くなる。
 又貸しをされて、社が把握する以外の場所で落ちたら…………。
 汚れたカーペットの上では終わらないと決めた。
 そのためには高岡からやれと言われたことは、やらなくてはいけない。
 新聞を読んでも焔は出るだろうが、焔がなくても堕ちるという高岡の意見には、悔しいが反論できない。
 生活リズムが崩れれば健康状態も悪くなる。勉強も今以上に億劫になるだろう。
 だらしない状態で登校する日が続けば、教師の目につく。友達も去るかもしれない。
 どうでもいいと学校を休めば、勉強についていけずに退学になるだけだ。
 叩き落した新聞を拾う。うつむいてたたんだとき、昨夜の高岡が脳裏に浮かんだ。
 寝室の床に落ちた新聞を、目を伏せてたたんでいた。
 見たのだ。確かに。
 春樹の片脚を抱え込み、体を押さえ付けていた高岡は、同じ炎に焼かれていた。
 歯を喰いしばり、苦痛に耐えていた。呼吸を求めてひらく唇は、わずかだが震えていた。
 逃げない、と、あの男は言った。
 震える唇を一度引き結び、不敵に笑って言ったのだ。
「なんで……何でなんだよ! ばかだろあいつ! 何でこんな構い方するんだよ!」
 こんがらがったときの涙が、新聞の上に落ちた。

 『大丈夫よアキラ』

「大丈夫って、何がだよ。あんたの兄さんは、僕のことなんて気にしてないよ。功名心を満足させるための道具だ。あいつは肉声しか聞こえないから、ちゃんと口で言っといてくれよ……!」
 心が揺れる。ものすごく揺れる。揺さぶられて裂けてしまう。
 携帯電話をわしづかんだ。待ち受け画面が見たい。小さくても強い、シバザクラが。

 『燃える恋』

 シバザクラの花言葉が、呼ぶべき名を奪った。
 新田に苗を買ってもらい、一緒に植え、開花した姿を手をつないで見た。
 ふたりの思い出であるシバザクラを写した画面を見れば、新田の名を叫べると思った。
 それで心の揺れは終わるはずだったのだ。
 新田の名前は出てこなかった。
 だれの名前も、春樹の口からは発せられなかった。
 涙が次々に落ちる。新聞、床、携帯電話のシバザクラに。
「お願い……お願いだから、解放して……」
 春樹は携帯電話を乱暴にとじた。
 無音の室内に響く音が、シバザクラの悲鳴のようだった。


<  第二章・3へ続く  >


【 あとがき 】
読んでいただき、ありがとうございました!
続きは第2章・3のupまでお待ちください。
今回は女子を出してしまいました(汗) イロモノではありますが一応BLと謳っているのに
いいのかなと思いつつ、重要なキャラなので第1稿どおりに出てもらいました。
笙子は番外編でちょくちょく出てくる予定です。今後の本編でも、時々出てきます。
今回ほど入力で苦しんだ回はなかったです。
不注意ですっ転んで頭を打ったため、根をつめると痛みが出たからです。
「焔」の本編は紙の原稿に書いてあるものをちまちま入力して、ちまちまHTML文書化
するだけなのですが、一応、そのときの自分が好きな表記に変えて入力しています。
紙原稿には基本的にオノマトペ(笑)を書いていないので、いたすときの台詞を
痛む頭で入力するのは、かなりこたえました(恥)


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