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第一話・焔 第二章・2
春樹は新田と並んで下校した。
新田は自転車通学だ。自転車を押し、春樹と同じスピードで歩いてくれる。
「シバザクラの花言葉って、臆病な心っていうんだね」
春樹は、ぽんっと言葉を放った。
花言葉を知ってシバザクラへの愛情が変わるわけではないが、幻影はなくなりつつあった。
「協調、温和、華やかな姿」
「え?」
「色々あるんだぜ、花言葉って。あとは……」
新田は足をとめた。この交差点で別れなくてはならないからだ。
「燃える恋」
今度は春樹の頬が染まる番だった。手の甲で顔を押さえる。
「お前がシバザクラが一番好きだって言ったとき、何か嬉しかった。あの花、強いから。開花中は群生した姿で観光客を圧倒させたりもできるんだ。小さいのに、すごいよな」
「うん」
シバザクラのたくましい幻影は、新田の言葉でみずみずしくよみがえった。
観光客を呼ぶこともできる花だと知り、浮き立つような気分になる。
「いつか……いつかね、一面のシバザクラを見ながら、修一と手をつないで歩きたい」
「俺も。今言おうと思ってた」
預けていた鞄を自転車のカゴから出したとき、春樹の指が新田の指に触れた。
ふたり同時に顔が赤くなった。
「春樹、お前本当は強いんだな」
「えっ」
新田は春樹に大きく手を振り、自転車に乗ってしまった。
みるみる小さくなる新田の後ろ姿は元気そうで、春樹は息をついた。
『大丈夫よアキラ。この子は弱くないから』
鈴の旋律である、笙子の声────────
「僕が……? 嘘だ」
高岡の車内でも同じことを思った記憶が、かすかにある。
春樹は歩調を速めた。笙子の言葉は感覚的すぎる。
本質に、いきなり斬り込んでいくような気がする。どこか危険な響きがあった。
伊勢原に置き去りにされた春樹は、弱くてみすぼらしい男娼だ。
駅ビルに向かうふたつ目の交差点に差しかかったときだった。
黒塗りの車が春樹の斜め前方でとまる。路肩にとまった車の窓が下りた。
「春樹くん。乗りなさい」
軽いクラクションの音と、稲見の声がした。春樹は大慌てで乗り込んだ。
「こっ、困ります。ここは駅に近いんです。同じ学校の生徒もたくさんいますから」
稲見は「悪いね」とだけ言い、涼しい顔で車を発進させた。車内が煙草臭い。
「急で悪いが、今夜接待してくれないかな」
「そんな……だって、制服だし、週明けからはテスト期間だから勉強もしなきゃいけないし。週末だけじゃないんですか? 連休は仕方ないとしても」
ささやかな反論に、稲見は事務的に返答した。
「今夜相手をしてくれたら、あすからの三日間、週末が丸々オフになるよ。約束する。連休中に頑張ってくれたからね」
「三日間……本当ですか」
稲見は笑顔で首を縦に振った。車は繁華街につながる道へと入っていく。
「新人は人気があるし、きみは可愛くて気立てもいいから本当はもう一日くらい頼みたいところなんだけど、契約条件に学業優先というのがあってね。高岡さんからの絶対的な条件だそうだ」
春樹は稲見の顔を見た。稲見は横目で春樹を見る。苦笑された。
「そんな怖い顔しちゃだめだよ。眉間のしわ、取れなくなるよ」
「ごめんなさい」
あの狂犬は、どこまで人の心を揺らせば気が済むのだろう。
「今夜のお客様は、塔崎(とうざき)様とおっしゃる方だ。若い子がお好きな方で、制服だととてもお喜びになる。お酒も飲まれないし、煙草も吸われない。長く拘束するようなこともない。穏やかな方だよ。気に入った子には現金や品物をプレゼントされることも多い。もしも何かいただいたら、素直に受け取っておきなさい」
「……はい」
車はすでに高級ホテルが立ち並ぶ地区に入りかけていた。須堂と過ごしたホテルが見える。
腹を括った。今夜耐えれば、あすから三日間自由なのだ。
「今夜は僕が自宅まで送るから。終了次第、塔崎様から僕に連絡が入るようになっている。安心して、リラックスして過ごしてきなさい」
「わかりました」
終了。たった二文字。
二文字にたどり着くために春樹がすることを、わかって言っているのだろうか。
帰路を確保して、伊勢原のときみたいにはならないと言いたげだ。
しばらくして都庁の脇を過ぎた。緑深い公園を廻り込むようにして、車は今夜の客のもとへと進んでいった。
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